そうやって寂しくなると新しい彼と暮らし、関係が冷えると一人暮らしに戻るというのを三十五歳過ぎまで繰り返していたのですが、その反復の中で気づいたことがあります。好きな人とデートを繰り返してもっとたくさん会いたいという気分になって一緒に暮らし始める時は格別の幸福感がありますが、惰性の同棲から抜け出した時の解放感はそれと同じくらい、あるいはそれ以上に大きいということです。

 人が家にいるとどんなに気の置けない仲であっても最低限の気は使いますし、スペース的にも結構邪魔です。私は冷房があまり好きではないので部屋の中ではなるべく下着だけみたいな格好でごろごろしていたいのですが、それでいちいちサカられても困ります。自分だけの家であれば使用済みの生理用品をその辺に散らかしていても、ひたすら眠い生理前はお風呂に入らず異臭を放っていても、誰のことも不快にさせないで済みます。そして何より、夕方くらいには帰る予定だったのが翌日のお昼になろうが、その日に思い立ってベトナムに旅立とうが、誰のことも心配させないし、いちいち連絡もしないで流れるように生きていられます。

 そういうお互いの自由を認め合うカップルもいるのでしょうが、多くの場合はお互いの予定をある程度は把握したり、一緒にいる時間を確保したりするのではないでしょうか。私は夜の街へ飲みに出かけるのであれば時間の目安など計画を立てたくはないし、誰かが待っているだろうなという小さな罪悪感を持ちながら遊びたくもないし、夜に溶けるように身を任せたい。誰かと暮らしている時にはそれほど気づいていなかった、自分の自由への欲求が、重い腰をあげて同棲を解消してみると爆発して、しばらく愉快に暮らしていました。

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ペットのはずが「不快な生き物」に!?