左から長女、長男、次女=2022年12月、梅津さん提供

――ポスドク(博士号取得後研究員)時代に3人産んじゃったわけですね。すごい。 

 考える間もなく、っていう感じですかね。姉のところも3人子どもがいるし、2人より3人いたほうがいいかなというのは夫婦で一致していました。私が1人目を産んだあと、主人は転勤を命じられて「だったら辞める」と同業他社に転職し、2人目を産んだあとにその会社でも東京転勤と言われて辞めた。東京へ行くのは栄転だと思うんですけど、彼の意思は固かった。もともと「営業は一生続ける仕事ではない」って言ってはいました。

夫は保育園を立ち上げた

 うちは、両親とも愛媛県出身で、父は修士から東北大に来て金研に就職した研究者、母は私が生まれる前は小学校や中学校で英語の先生をしていて、公務員一家なんですが、主人のほうは北海道出身で、おじいちゃんはお酒をつくっていましたとか、いとこはプロゴルファーを目指していましたとか、絵描きさんがいますとか、歯医者でクリニック経営していますとか、なんか自分でことを起こすのを厭わない人たちなんです。それで、二つ目の会社を辞めたあと、保育園を始めました。

――え、保育園?!

 私も驚きましたけど、主人はコンサルタントからいろいろアドバイスも受けて、仕事として始めた。最初は個人事業主として街なかのビルの一角を借りて、やがて2カ所の経営をするようになり、今から5年くらい前にNPO法人にして、3年前に社会福祉法人にしました。社会福祉法人になってから、思い切って90人から100人規模の保育園を二つつくりました。

――へえ、すごいですね。

 最初は本当に休みなく働いていました。頼まれれば、夜でも休日でも子どもを預かって。だから、家事育児は今の言葉でいえば完全にワンオペだったんですけど、主人の保育園は割と近かったので、私が子どもを保育園に迎えにいった帰りに主人のところに寄って様子を見て、「先に家に帰って寝てるね」みたいな感じ。すごくがんばっているのはわかっていたし、かえって一家団結するっていうか。結局、自営だったので、しょっちゅう子どもを連れて出入りできましたから、私が1人で育児をしているという感じはなかったですね。

 そばで見ていて、経営がだんだん良くなっていくのがわかるんです。ちょっと保育園の話になっちゃいますけど、保育園というのは親からの保育料だけではやっていけないんですよ。行政からの支援があって初めて成り立つ。だけど、支援を受けるには実績が必要だから、助成金を受けるために要る条件をそろえておいて、まず1年間実績を積む。そこで申請すると、1年ぐらいの審査期間を経て3年目ぐらいから助成金をもらえる。

 それがわかっていたので、最初の2年は耐え忍んでがんばった。私も夜遅い子の食事をちょっと作りにいくとか、土日はうちの子どもも連れていって一緒に散歩するとか、手伝いました。

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