物質には、ある温度を境にガラッと構造を変えるものがある。それがなぜ起こるのかを研究しました。茨城県東海村の原子炉施設に行って中性子を使う実験をして。小さい大学の割には、すごくアカデミックなことをやらせてもらっていました。
東北大工学部の研究室をいくつか見学して、4月には間に合わなかったんですけど、10月に工学研究科の博士課程に編入しました。このときには、研究者になろうと覚悟を決めたというか、大学に残れるものなら残りたいと思っていましたね。どうすれば残れるのかのイメージは全くありませんでしたが。
女子高・女子大は悪くない
――物理が好きになったのは?
高校からです。よくある話ですが、高校の物理の先生がすごく良かった。高校は県立の女子高で、当時、県立なのに男女別学にしている県がいくつかあって、宮城県がまさにそれだった。母校はいまはもう共学化されて、しかも中高一貫校に変わったんですけど。
でも、理系の女子を増やすという意味で、女子高・女子大は案外悪くないんですよ。女子高・女子大だと、何も気にしないで、何の偏見もなく好きな教科を自分の意思で決められる。あと、学校が「あなたたちは女性だけれど、当然、社会に出て先輩がたのように活躍するんですよ」と言ってくれる。これは共学ではなかなか言ってもらえないですよね。東北大の女子学生を見ていても、いっぱいいる男子の後をそーっとついていくような子が多いように思います。
――女子大だとロールモデルになる立派な女性の先生が何人もいらっしゃいますしね。
いるし、男の先生でも女子教育に理解がある。ただ、私自身はあまり勉強しない、不真面目な学生でした。中学からテニス部で、大学でも体育会のテニス部に入ってテニスばかりしていた。
テニススクールのコーチも
――へえ、どのくらい上手だったんですか?
え~と、バイトコーチをするぐらいですね。大学2年生から大学院卒業まで、近くにあったテニススクールでコーチをしていました。最初は習いにいったんですけど、コーチをやってと言われて。
主人と知り合ったのも、テニスが縁です。仙台でテニスの社会人サークルを立ち上げた人で、当時は医療機器を販売する会社の営業マンでした。一緒にテニスの合宿に行ったり、試合に出たり、ワイワイ週末を楽しく過ごしている社会人サークルなので、仕事は何をしているかはお互い興味もない。私は「年を取った女子大生らしいよ」(笑)とかって言われてました。
私、結婚相手はなんとな~く「同業者はイヤだなあ」って思っていたんです(笑)。主人とテニスを通して仲良くなったので、卒業したら結婚と思っていたら、卒業前の夏ごろに妊娠しているのがわかった。博士論文の審査は10月、12月、1月と3回あり、最初が一番大事な審査なんです。それが無事に終わってから指導教官に「妊娠しています」って打ち明けた。審査のたびにちょっとずつおなかが大きくなって(笑)、5月に出産しました。
3月の学位授与式のとき隣に座ったのは女子留学生だったんですけど、びっくりされた(笑)。生まれたのは女の子で、その後、ほぼ2年半おきに女、男と産みました。