大正時代に世界最強(当時)の永久磁石をつくった本多光太郎博士(1870-1954)が創設した東北大学金属材料研究所(金研)。その副所長に今年4月に就いたのが梅津理恵教授(53)だ。翌月には「日本女性科学者の会」会長にも就任した。
奈良女子大学物理学科の修士課程を終えたときは、就職に踏ん切りがつかず、悩みつつ臨床心理学の勉強を始めた。まもなく、母のがんがわかり郷里の仙台に戻る。母を見送り、東北大学の博士課程へ。博士論文の審査前に妊娠するという「想定外」を経て、今は保育園事業を展開する夫との間に3人の子に恵まれた。子どもたちのスポーツ活動を夫婦そろって全力で支援し、末っ子から「研究者っぽくない」と言われる、類例を見ない女性研究者である。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
女性から評価され嬉しかった
――日本女性科学者の会は、平塚らいてうさんや湯川秀樹博士らの支援のもとに1958年に設立された由緒ある団体です。その会長になったんですね。
任期は2年です。立候補しませんか、と言ってくださる方がいて、もっとキャリアを積んだ方がなるイメージを持っていたんですけど、立候補しました。会員300人弱のこぢんまりした会なので、会長といっても、事務かたの一員みたいな感じです。
――いつから会員に?
この会が出す奨励賞があるんですが、応募するには会員であることが条件なんです。それで博士号をとって間もないころ会員になった。そのときは選に漏れたんですけど、日本金属学会や財団などから賞をいくつかいただいた後にまた応募したらいただけた。2014年の第19回です。女性同士の厳しい目でも評価されたとちょっと嬉しかったですね。
――女性同士のほうが厳しいんですかね?
材料ってすごく女性が少ない分野で、しかも分野自体が地味なんですよ。医学系や生物系は華やかなイメージで女性も多いし、そういう分野と対抗できるのかしらって思っていましたね。
賞をとってすぐ理事になりました。会長になる前の2年間は広報担当理事として古めかしかったホームページを一新しました。若手専用のページも作った。若手会員を増やして、若手にとっても役に立つ活動をしていきたいと、会長としても思っています。
「喉から手が出るくらい」
――優れた女性研究者に贈られる「猿橋賞」を受賞したのは2019年ですね。
実は、私、猿橋賞のことをよく知らなかったんですよ。学会の委員会か何かのときに先輩がたが「猿橋賞は誰にとっても喉から手が出るくらい欲しい賞だけど、なかなかもらえない」というような話をしていて、「そうなのか」と思った。だったら、私もそれに応募するのを目標にしようと思った。
猿橋賞は50歳未満が対象で、ふと気がつけばぎりぎりのタイミングになっていたので、自分としてはまだ基準に見合っていないような気がするけれど、応募書類を出しました。なんか、出したことすら忘れたころに受賞の知らせが来た。2019年5月に贈呈式があって、翌年2月に教授に昇任しました。
――俗にいう「猿橋効果」ですね。