デジタル技術で復元された「大坂冬の陣図屏風」(右、凸版印刷制作)と、原本の重要文化財「大坂夏の陣図屏風」
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 大河ドラマどうする家康」がついに、最終回を迎えた。12月17日放送の「神の君へ」は、大坂夏の陣を戦い、豊臣家の滅亡と乱世の終焉を見届けて、家康の命が尽きるまでを描く。

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 1600(慶長5)年の関ケ原の戦い、1603(慶長8)年の江戸幕府開幕を経て、戦国時代を締めくくる大坂夏の陣が繰り広げられたのは1615(元和元)年。この最後の合戦を描いた屏風の存在をご存じだろうか。徳川方として参戦した豊臣恩顧の大名・黒田長政がつくらせたものとされる「大坂夏の陣図屛風(びょうぶ)」だ。

『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(監修 小和田哲男/編集 かみゆ歴史編集部)が、この屏風について書いている。

 所蔵するのは、この屏風に描かれた天守が参考資料の一つとなり復元された大阪城天守閣。右半分(右隻)には、大坂城めがけて押し寄せる徳川軍や、徳川軍に向かって突撃する豊臣軍の真田信繁「赤備え」部隊など、決戦の詳細が活写されている。しかし、ここで注目したいのは、合戦の実際を克明に描く左半分(左隻)だ。

 描かれるのは、ほうほうの体(てい)で城から逃げ出す豊臣兵や女房たち、それを待ち構えて略奪を行う夜盗、徳川軍による暴行や追い剥ぎ、淀川で溺れ死ぬ庶民たち――。屏風には、落ち武者狩りで得た戦利品を見張る様子や、雑兵につかまり連れ去られようとする女性も見える。淀川は橋が落とされ、溺死する人も多かったという。

 こうした描写は、「戦国のゲルニカ」と呼ばれるほどリアルだ。「どうする家康」では、松本潤演じる家康が、「乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟にございます」と豊臣秀頼を擁する淀殿(茶々)に書き送っている。この屏風にも、戦場の悲惨な現実を伝えることで、乱世を繰り返すなという戒めが込められているのだろうか。

大阪市天王寺区の茶臼山本陣跡。茶臼山は冬の陣では家康の本陣、夏の陣では信繁の本陣となった。夏の陣ではこの周辺が激戦地となる(写真 かみゆ歴史編集部)

 家康は、真田信繁に二度も本陣に迫られながら大坂夏の陣を制し、豊臣家を滅ぼして、真の天下統一を完成させた。そして翌年、75歳(満73歳)でこの世を去る。死後は「東照大権現」として神格化され、全国に祀られた。

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家康は「健康オタク」だった