「親ガチャ」という言葉は、もともとは、親から虐待を受けているなど、過酷な家庭環境で育った子どもたちが、その状況を乗り越えるために、ある種の自虐として使い始めたと言われている。
「僕自身は、自分の研究とは無関係な他人事だと思っていたんですよ。というのは、行動遺伝学的にみれば当たり前のことなので。その当時は、『何を今さら』と思いました。でも、同時に、このような軽く響く言葉だからこそ、深刻な問題を現実的に、軽妙にかわしていけるのかもしれないとも思いました。誰が言い出したのかわかりませんが、うまい言い方ですよね」
「親ガチャ」はなぜ、もとの意味を超えて広がったのか。
「考えてみると、僕は行動遺伝学をやっていたので、ランダム性というものにリアリティーを持っていた気がするんです。逆にいうと、『人生とは設計して遂行していくもので、自己決定によってコントロールできる』という人間観のなかで生きている人にとってみると、遺伝や環境による不平等に、理不尽さを覚えるのでしょう。その理不尽さを言い表すのに、『ガチャ』という言葉がうまくはまった。そういうことだと思います」
遺伝を知ることで、呪縛から解き放たれた
自分はなぜ、この親の子として生まれたのか。「出自」は偏見や差別につながることがあるので注意が必要だが、「この私」を受け入れて生きていくために重要なものでもある。
安藤さんは、著書『教育は遺伝に勝てるか?』を出したあと、読者から意外な反応を受け取った。
「僕としては、『あんな親のもとに生まれたから、私はこんな人間になって苦しんでいるのだ』という呪縛から解き放たれることを願って、『遺伝的に親子というのは必ずしも似ていない』ということを、ポリジーンのモデルに沿って強調したつもりでした。ところが、『やはり自分はあの親の子であったことが科学的に示された』と受け止めて、なんとそう“科学的に”認識することで、逆に呪縛から解き放たれたという感想を、複数の人から聞いたんです。現実に立ち向かう力を得たということなのでしょうか」
安藤さんの本を読んだ人が前向きになれるのは、「遺伝」という言葉のイメージが変わるからかもしれない。
英語で「遺伝」にあたる言葉には、geneticとheredityがある。
「heredityは、まさに『受け継ぐ』という意味。geneticは、generateと同じ語源で、『つくり出していく』というニュアンスが含まれます。だから本当は、起因としてのgene、つまり『生命の源』という意味も、遺伝にはある」