ロン・デマトス。イーライリリーの探索研究部門で20年以上研究を続ける。

 そのスター紙で異常事態が始まったのが、1989年に親会社が上場をし、その経営のために、ガネット社から経営者を招き入れ、その経営者と社主の娘ができてしまってからのことだった。そうした時に、私はインディアナポリスに調査に入ったのである。

 そしてスター紙の親会社が上場した1989年というのは、実はイーライリリーでアルツハイマー病の創薬の研究が始まった年でもあった。

アンメットニーズにしか未来はない

 そのインディアナポリスの街で、私は、スター紙を離れてジャーナリズム以外の職業についた元調査報道記者たちに話を聞いていったわけだが、彼らは本当に気のいい男たちだった。

 原稿を確認してもらうために、当該部分の読み聞かせをしたが、自分がスター紙を追われるくだりを元調査報道記者は聞きながら、震える声で「fine」と繰り返し、涙を流していた。

 スター紙は、最終的にガネット社に買われ、調査報道の伝統はここで途切れてしまう。

 一方イーライリリーは、アルツハイマー病の創薬で、多くの失敗にめげず撤退をしなかった。

 リリーは当初、ソラネズマブというアミロイドβ抗体薬に社運をかけていた。

 アミロイドβは集まって固まりアミロイド斑になり、神経細胞の外に付着することでアルツハイマー病の病変は始まる。

 ソラネズマブは、アミロイドβが固まる前の段階を標的にした薬だった。

 セント・ルイスにあるワシントン大学のポスドクから2001年にイーライリリーに入社した研究者のロナルド・デマトスは、「それ以来ずっとインディアナポリスにいる単調なキャリアだけど」と断ってイーライリリーのアルツハイマー病研究について話をしてくれた。

 特筆すべきは、ソラネズマブがフェーズ3を三回も繰り返しながら、結局はものにならなかったことだ。

「特に2016年、2000人を超える規模のフェーズ3の結果が出て、ここで有意差がつかなかったときは、アルツハイマー病部門の人間は誰もが泣いた」(デマトス)

 1989年以来、アルツハイマー病創薬の部門は、一ドルの金も生んでいないのである。2017年には、ファイザーなどの他の製薬会社は、リスクがあまりにも大きすぎるとして、アルツハイマー病創薬の部門から撤退していった。

 しかし、イーライリリーが違ったのは、ここで踏みとどまり、今度は、アミロイドβが完全に固まった状態のアミロイド斑を標的とする「ドナネマブ」の治験をフェーズ2から新機軸をいれて始めるのである。

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