これが事実とすれば、イスラエル軍が戦場で一方的に勝利したかに見えるガザ侵攻も、決して目的を完遂した作戦とは言えなかった。とりわけ、イスラエル軍が最も警戒するのは、ハマスを兵器供給と財政の両面で支援してきたイランが、より高性能で破壊力の大きな兵器をガザに送り込むという事態であり、グラッド・ロケット弾の存在は、そうした懸念が現実へと変わりつつあることを示していた。

 また、イスラエル政府が期待した政治的効果という点でも、この作戦は成功したとは言えなかった。先に述べたとおり、ガザ地区への武力行使には国内世論への配慮という側面があり、実際イスラエルで紛争直後に実施された世論調査では、イスラエル国内のユダヤ人の九四パーセントが、今回の軍事行動を支持すると回答していた。

 しかし、二〇〇九年二月一〇日に実施された総選挙では、政党別ではカディマが二八議席、労働党が一三議席を確保したものの、より徹底的なハマスへの報復を主張するリクード党(二七議席)と「わが家イスラエル」(一四議席)などの対アラブ強硬派勢力が合計で六四議席の多数派を占めたため、シモン・ペレス大統領はカディマの党首ツィピ・リブニではなく、リクード党の党首ネタニヤフに組閣を行うよう指名したからである。

 一方、ハマスは二月一二日にイスラエルとの一八カ月の停戦を一方的に発表したが、ガザ地区では依然としてハマスの支持基盤は強く、二月二六日にはパレスチナ自治政府が、ファタハとハマスの連立政権樹立に向けた協議を開始するとの政策方針を表明した。

 双方の思惑が渦巻く中で勃発した新たなガザ紛争は、問題の根本的な解決には何ら寄与することなく終わり、中東情勢は一層深い混迷の中へと沈む結果となったのである。

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