こうした状況の中、二〇〇八年一一月四日にイスラエル軍が行った、ガザ地区への小規模な越境攻撃をきっかけに、ガザ地区の境界附近で双方による攻撃の応酬が激化すると、ハマス側は一一月一四日、それまでのカッサム・ロケット弾よりも高性能なグラッド・ロケット弾五発を、イスラエル領内の都市アシュケロン目がけて発射した。

 グラッド・ロケット弾は、カッサムのような素人づくりの手製兵器とは異なり、旧ソ連製のロケット弾をイラン(一部は中国)が改良した本格的な兵器だった。この攻撃による人的損害は皆無だったものの、野党リクード党のネタニヤフらはオルメルト政権の消極姿勢を激しく批判し、国内世論も断固とした対応を求める方向へと大きく傾いていった。

 このままでは、翌二〇〇九年二月に予定されている総選挙を乗り切れないと考えた与党のカディマと労働党は、世論に後押しされる形で、ガザ地区に対する大規模な軍事作戦の準備に着手した。

 そして、二〇〇八年一二月二七日の午前一一時三〇分、イスラエル空軍のF16戦闘機四〇機による爆撃と共に、ガザ地区への総攻撃を開始したのである。

問題解決にならなかったイスラエルの武力行使

 イスラエル空軍の爆撃は、既に判明しているハマス管理下の施設とハマス幹部の住居や事務所に加えて、カッサム・ロケット弾の秘密基地や、その製造への関与を疑われる民家に対しても実施された。そのため、子供や老人を含む大勢のパレスチナ人市民が爆撃の巻き添えで死亡し、広範囲にわたって家屋が破壊されることとなったが、イスラエル側は国際社会の抗議を完全に無視する形で、当初の目的を達成するための爆撃を継続した。

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パレスチナ人の死者一二八四人