爆撃開始から八日後の二〇〇九年一月三日には、戦車と歩兵、戦闘工兵、空挺兵などから成る五個旅団、約六〇〇〇人の地上兵力が、四カ所で境界線を越えてガザ地区へと侵攻し、ロケット弾とその発射施設の捕獲と破壊、および製造工場の捜索を実行した。

 そして、オルメルト政権は一月二〇日にアメリカでオバマ新大統領の就任式が行われることに配慮し、同日までに地上部隊をガザ地区から撤退させて、軍事作戦を停止した。

 二〇〇八年一二月から二〇〇九年一月のガザ紛争における死者の数については、いくつかの数字が提示されているが、パレスチナの人権機関が発表したデータによれば、パレスチナ人の死者一二八四人のうち、民間人は八九四人(七〇パーセント)で、その中には二八〇人(二二パーセント)の子供も含まれていた。一方のイスラエル側は、兵士一〇人とユダヤ人市民三人が、この紛争で死亡した。

 二〇〇八年一二月の時点で、イスラエル軍参謀本部はガザ地区内に約三〇〇〇発の各種ロケット弾が存在するとの分析を行っていたが、イスラエル軍が戦後に行った評価ではそのうちの約一二〇〇発が今回の紛争で発射前に破壊され、紛争期間中に発射された約六〇〇発を除いた約一二〇〇発が、なおもガザ地区に留まったものと推定された。

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