そのため、イスラエル政府はこのロケット弾の脅威を深刻に受け止め、発射と製造を阻止する方策を練ったが、胴体となる金属パイプや、推進剤の材料となる調味料や肥料などは容易に入手できる上、特定の兵器工場ではなく、ハマスに協力する民家で家内工業的に製造されていたため、集中的な爆撃で製造ラインを根絶することも不可能だった。

 二〇〇一年から二〇〇五年までの五年間に、パレスチナ側からイスラエル領内へと撃ち込まれたロケット弾の数は六五四発だったが、カッサム・ロケット弾の大量生産により、二〇〇六年には九四六発のロケット弾が発射されており、二〇〇七年には八九〇発とほぼ横這いだったものの、二〇〇八年には一五七三発へと倍増していた。

 イスラエル側は、ガザ地区を経済的に封鎖して、ロケット弾の製造を妨害しようと試みたが、効果はほとんどなく、逆にパレスチナ市民の日常生活を脅かして、強硬派のハマスの人気を高める結果となってしまう。

 実際には、これらの手作りロケット弾のほとんどは無人地帯に落下しており、イスラエル国民のロケット弾による直接的な人的被害(迫撃砲弾の被害は含まない)は、二〇〇六年一一月から二〇〇八年五月までの一年七カ月間で死者五人に留まっていた。だが、イスラエル市民の間では、政府と軍に対してハマスのロケット弾攻撃への対処を求める世論が沸き起こり、オルメルト政権は具体的な行動を示す必要に迫られることとなった。

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本格的なロケット弾の導入