ハニヤ政権の樹立から四カ月後の二〇〇六年六月二五日、ガザ南部からイスラエル領内に侵入したハマスの戦闘員が、イスラエル兵二人を殺害して別の一人を拉致し、イスラエルで拘束されているハマス活動家の釈放を要求するという事件が発生した。イスラエルのオルメルト首相は、当然のことながらこの要求を撥ねつけ、翌六月二六日に戦車部隊を含む攻撃部隊をガザ地区へと侵攻させ、ハマスの活動拠点やインフラ施設に打撃を与える一方、拉致された兵士の捜索を行ったが、結局発見できなかった。

 七月に入ると、イスラエル北部のレバノン国境でも新たな軍事紛争が発生した。

 イランの支援を受けたイスラム教シーア派の武装組織ヒズボラが、七月一一日にレバノン南部からイスラエルに多連装ロケット「カチューシャ」を発射、翌一二日に小競り合いの中で二人のイスラエル兵を捕虜にしたことがきっかけとなり、ヒズボラとイスラエル軍は戦闘状態に入った。七月一七日にはイスラエル軍の特殊部隊がレバノン領内に侵攻、七月二二日には戦車や装甲兵員輸送車を装備した地上軍の主力もレバノンへと入った。

 イスラエル側は、イランからヒズボラへの武器供給ルートを断つとの名目で、レバノンの首都ベイルートにある国際空港の一部施設を破壊し、同地の港湾も封鎖するという強硬策をとった。だが、レバノン領内に入ったイスラエル軍の地上部隊は、捕らえられた二人のイスラエル兵を捜索したものの、今回も見つけることができずに終わった。

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手製のカッサム・ロケット弾