そして、紛争の仲介に立った国連安保理の停戦決議(第一七〇一号)が八月一一日に可決され、八月一四日に現地で発効すると、イスラエル軍は間もなくレバノン領内からイスラエルへと退却した。これにより、イスラエル側の死者一五八人(うち軍人は一一七人)とヒズボラ戦闘員の死者が二七〇人、そしてレバノンの一般市民の死者一〇〇〇人以上を生みだしたレバノンでの紛争は、約一カ月で終結した。

 三カ月後の二〇〇六年一一月二六日にはガザでも停戦が成立し、イスラエル軍部隊は目的を達成できないままガザ地区から撤退した。だが、ハマスはこの二〇〇六年から、ある兵器を大量に製造してイスラエルへの無差別攻撃を断続的に実施しており、イスラエル市民に新たな不安と恐怖を味わわせていた。

 「カッサム」と呼ばれる、手製のロケット弾がそれである。

イスラエルへの無差別攻撃をやめないハマス

 カッサム・ロケット弾とは、水道管や道路標識などの金属パイプを特定の長さに切断し、そこに少量の爆薬と推進剤を封入しただけの、簡易な構造の手作り兵器だった。これを、金属製のフレームを組んだ簡易発射台から発射すると、最大で約一五キロ先まで飛ばすことができたが、当然のことながら命中精度はきわめて悪く、殺傷力も低かった。

 地図上で比較すると、ガザ地区よりもはるかに大きな国土を持つイスラエルだが、それでもガザ地区の周囲に緩衝地帯を設ける地理的余裕(戦略的縦深)はなく、カッサム・ロケット弾のような比較的射程の短い兵器であっても、簡単にイスラエルの人口密集地を攻撃することができた。

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手製ロケット弾の命中精度