元経産官僚の古賀茂明氏も古巣について私の取材にこう言っていた。
「経産省は実は、最近ほとんどまともな仕事をしていない。かつては自動車や電力など官民一体となって日本の産業を支えてきたけれど、産業政策で経産省はもはや必要なくなってしまった。そこで何かでっち上げなければと『○○補助金』などを作るのですが、中身がないから立派に見せるのが大変」
要はこういう話だ。
戦後復興の産業政策において、経産省の前身の通商産業省(通産省)は目覚ましい力を発揮した。城山三郎の小説『官僚たちの夏』(新潮社)の世界だ。高度経済成長で官民一体の取り組みが功を奏し、1980年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に躍り出た。
そうなると民間企業は官に頼る必要がなくなり、1990年代以降、通産省、経産省の「不要論」がささやかれるようになる。これに必死で抵抗し、「日の丸産業」の復活に取り組むが、液晶テレビ、半導体、太陽光パネルなど、経産省が絡むとことごとく失敗した。省内では常に「新しい政策を作れ」の号令がかけられ、毎年のように何か作っては財務省に予算要求を繰り返す。しかし、中長期的な視点がなく、具体的な中身も薄いから、5年計画の事業が2年くらいで頓挫して消えてしまうことも珍しくない。それでも、次から次へと看板を掛け替え、「形」だけは立派に見せる。
そんな霞が関の「広告代理店」のような存在の経産省だから、パフォーマンス重視の安倍首相と親和性が高かったわけだが、しょせん“やってる感”だけだから本格的な経済成長には結びつかない。