第1の矢の金融緩和と第2の矢の財政出動は、本来は対症療法としての「風邪薬」でしかなく、成長戦略こそが持続的に日本経済を活性化させていく本格治療となるはずだった。新しい産業を創出する発想や競争力のある分野を徹底的に強化するなど、日本経済を足腰の強い筋肉質な身体にするための中身のある成長戦略が必要だったのだ。
当初、想定されていた成長戦略の柱は「規制緩和」だった。2013年6月に「日本再興戦略」がまとめられ、「世界で一番企業が活動しやすい国を目指す」と謳った。
しかし、「10年間の平均で名目GDP成長率3%程度、実質GDP成長率2%程度」「10年後に1人当たり名目国民総所得(GNI)150万円以上増加」など、壮大な目標数値と達成目標時期をあれこれ並べて大風呂敷は広げるものの、そこへ至るプロセスの説明はない。あまりに具体性が乏しく、成長戦略の素案が発表されると株価は急落した。アベノミクスの一番の信奉者だった株式市場のプレーヤーにさえソッポを向かれてしまった。
つまり、アベノミクスの成長戦略はスタートから躓いていたのである。
安倍晋三首相は13年秋の臨時国会を「成長戦略実行国会」と名付けた。所信表明演説が行われた翌日のゲンダイ1面(2013年10月16日発行)が、前途を暗示している。