一方、小野にとって中学3年の頃は「人生で一番ヤバかった時期」だった。過干渉気味で「いい大学、いい会社に入るのが人生の幸せ」という価値観を押し付けてくる母親のストレスから不登校気味になり、自傷行為をするようになった。無言の母への「メッセージ」として血や吐瀉物(としゃぶつ)を見せつけたこともある。小野は後にエッセイ『傷口から人生。』で母との衝突と関係の再生や、17年ぶりの父との再会を詳述する。きっとそれを書くことは小野にとって、過去と折り合いをつける試みだったのだろう。
何とか中学時代を乗り切った小野は、系列の高校に進むと、問題児ばかりが集まるクラスに入れられた。だがそこで初めて学校に「自分以外にも変な子がたくさんいる」と知った。
「放し飼いのようなクラスで、先生も自由にさせてくれました。クラスメートには今、コピーライターや政治家の右腕など、ちょっと変わった仕事についてる人が複数います」
高校時代もあまり学校には行かず、毎日のように書店に通った。やがて現代思想に興味を抱き、デリダやソシュール、フーコーなどの哲学書を読みあさったのもこの時期だ。哲学の本場、フランスに関心を持った小野は、現役で慶應義塾大学の文学部に進学する。
作家への憧れは幼い頃からあった。小学校の卒業文集の「将来の夢」には「文壇をひっくり返す女性作家になりたい」と書いた。ところが実際にはずっと「自分は作家になれるわけがない」と感じていた。編集者の母からいつも作文にダメ出しされており「自分の書くものには価値がない」と感じていたからだ。
大学でサークルにも入ってみたが、やはり毎日がつまらない。保育園からの「ここには自分の居場所がない」という思いは続いた。そこで目を向けたのが海外だ。
3年生のときにはカナダのモントリオールの大学に1年間交換留学。帰国後もアルバイトでお金を稼いでは、海外を旅行するようになった。2007年には沢木耕太郎に憧れ、陸路での世界一周旅行にもチャレンジした。インド、パキスタン、ウズベキスタン、トルコなどの国を経て海をわたりギリシャからヨーロッパを横断した。スペインで参加した巡礼の旅行には人生観にも大きな影響を受け、後に光文社新書『人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅』にまとめた。旅行の資金稼ぎのために、銀座8丁目で40年以上営業している高級クラブでホステスのアルバイトをしたのもその頃だ。