iPadでゲラに修正を入れる。小説もエッセイも必ず最初はノートに手書きする。「パソコンだと頭だけで書いちゃう気がして、手書きすることで身体性を文章に込めたいんです」(撮影/岡田晃奈)

家族で暮らすのは小5まで 読書は異常なほど早熟

 食べづわりと異常な食欲、乳首が伸びない悩み、保育園問題、夫との喧嘩(けんか)……妊婦に次々起こる事象を、小野はほぼ4行に1回ペースの笑いを交えて活写する。版元のCCCメディアハウスに勤務する担当編集者の田中里枝(45)は、メールで送られてきた原稿を最初に読んだとき、「編集者人生で、間違いなくいちばん笑いました」と振り返る。

「以前から小野さんの、ヒリヒリとした痛みを感じさせる小説やエッセイがすごく面白くて好きでした。でもこの本は読後感が違って、妊婦や女性だけでなく、男性でも読むと元気が出る、人間に対する賛歌だと感じたんです」

 さらに、本書には小野の書く本文の下に、数十カ所にわたって夫のコメントが入る。コメントを書いた夫は、その意図を次のように語った。

「妊娠・出産というと女性のイベントで、男性は添え物のような扱いをされますが、本当は男性も“当事者”なんですよね。主人公はもちろん妻とおなかの子ですけれど、夫である自分がコメントを入れて別の視点を読者に提供することで、出産にまつわる世界観を少し揺るがすことができるかもと考えました」

 実際に『わっしょい!妊婦』の感想をネットで検索してみると、男性からの「面白かった!」という声が多数ある。

「明らかに僕のための本であって、身重の妻を持つ男性が読むべき本」

「一冊を親友に、もう一冊を妻の親友の夫に贈った」

 そうした感想を見た小野は、「妻の妊娠という謎現象について理解する機会を持てない男性が多いからこそ、本書がガイドとして響くのでは」と述べる。「わっしょい!」というタイトル通り「祝祭感」にあふれるこの一冊を、小野が作家としてこの世に産み出すまでには、自身「傷だらけ」と語る紆余(うよ)曲折の人生があった。

 小野は5歳まで新宿で暮らし、その後の中学高校は国立、荻窪で育った生粋の東京人である。父親は日本近代文学の研究者で、映画化された小説も執筆する文化人。母親はメジャーな出版社で著名作家を担当する編集者で、文学的な資質という点では「サラブレッド」と呼んでも過言ではない。だが父母は内縁の関係で、父と一緒に暮らしたのは小野が5歳までだった。

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