たとえば、21年12月。18歳以下への10万円の給付方法を現金とクーポンで別々に給付するとしていたが、世論や自治体からの反発を受けて、全額を一括で現金で給付することも可能とする方針に転換した。
こうした対応を受けて、同年12月の世論調査では支持率は49%に上昇した。当時の世論調査でも、岸田首相の「聞く力」については、「発揮していると思う」が48%とおよそ半数を占めるほどだった。
22年に入ってからは、ロシアのウクライナ侵攻に対し、岸田首相は「認めることはできない。強く非難する」などと述べ、欧米各国と歩調を合わせながら経済制裁を実施した。一連の対応は国民から評価され、同年3月の支持率は50%、4月は55%、5月は59%と3カ月連続で上昇した。ここが岸田政権の支持率の“ピーク”だった。
その後、支持率は減少に転じることになるが、ポイントとなったのは、同年7月の参院選後だった。
参院選の終盤に安倍晋三元首相の銃撃事件が起こり、それ以降、旧統一教会と自民党議員との深いつながりが次々と明るみに出た。
旧統一教会との関係を含めて、生前の安倍元首相は政治家としての評価が二分されていたが、岸田首相は、党内の保守派や保守層を意識し、安倍元首相の国葬の実施を決定した。世論の半数以上が反対の意向を示しながらも、9月27日に国葬を強行した。