夏井:日常生活では、その瞬間はハッとしたり、ギョッとしたりしても、少し経てばきれいさっぱり忘れてしまうことばかり。さっきの〈片側は海〉の刹那的な危うさにしても、のど元過ぎれば忘れてしまう一瞬の出来事なんだよね。俳句には、そんな三十分も経ったら忘れてしまうような瞬間の感覚が凝縮されている。だからこそ、こうやって追体験ができる。
奥田:次の句は、まさに「詩」といえる十七音の世界で、この感覚にはひたすら共鳴しちゃった。
眞夜中や蚯蚓の聲の風になる
夏井:季語は「蚯蚓鳴く」だね。実際には蚯蚓は鳴かないんだけど、空想を刺激する季語だから、俳人好みでよく詠まれてる。元はどうやら、螻蛄の鳴き声を混同して生まれた季語らしいんだけれどね。
奥田:鳴けない蚯蚓の鳴き声さえも聞こえてきそうな、しーんと静まった真夜中。病に伏せっているのかな。病状が思わしくない時に、〈蚯蚓の聲〉が風になっていくと感じてしまった。これは、無になっていくということなのか、それとも、自分が風のように飛んでいきたいという心境なのか。この句はどうしても、病床の子規の姿が目に浮かんでしまって。
夏井:季語が、本来は鳴かない〈蚯蚓の聲〉という虚の世界だからかな。より読者が感覚的になっちゃう感じがするよね。作者である子規の感覚に寄り添っていくというか。
奥田:写生一辺倒じゃない子規。こんな虚の季語の詩的な世界もいいですねえ。
