主観と客観

奥田:とはいえ、「不遇時代」だって楽しかったなあ。自分が一番やりたいことを貫くためなら、どんな日常だって卑屈にはならないでしょ。むしろ今となっては、あの頃の経験を感謝しているくらい。

 僕は人生で、「祠」に籠もる時間がとても大事だと思っていて。天照大神は天岩戸に籠もったでしょう? 真っ暗な空間に一人籠もっていると、いろいろなことを考える。子宮回帰現象です。まっさらな自分に向かい合って、「自分とはどういう人間」で、「本当は何をしたいのか」を自問自答する。

 そのうちに、外野が気になりだす。他の皆が、楽しくにぎやかに生きているのが聞こえてきて、おもむろに耳を澄まして外を眺める。そして、再び外に一歩二歩と、歩み出していける。

夏井:「祠」的な時間が必要なんだね。外界で働いたり遊んだりするばかりでなく、人生一度くらい自分の中に引きこもってもいいよと。

奥田:一度と言わず、二度や三度でも(笑)。漆黒の闇の底に落ち込んで、膝を抱えて、恐怖心やら不安やらにとことん付き合って這い上がってきた人間は、岩戸に隠れる前よりも、ずっと強くなっているはず。

 こういう体験は、古今問わず必要とされてきたのに、現代は違います。一人で籠もれるような祠もなければ時間的余裕もない。あるいは一度「引きこもり」になっちゃったが最後、今度は表に出ていくタイミングを見つけられずに苦しんでしまう。

 僕のオススメは、日常生活に身を置きながら、自分の分身を「心の祠」にポイッと入れるのを「習慣にすること」。

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