京都で特別科学教育を受けた片岡宏さん
京都で特別科学教育を受けた片岡宏さん

 時代は違うが、国が英才教育や才能教育を行うことをどう思うか、と最後に聞いた。藤井さんは「英才教育が悪だとは思わない」と言った。その上で「時の政権が教育や科学技術を戦争に利用する危険性は常にある。だから、戦争のために行われた歴史があることは、教訓としてほしい」。戦争を経験した政治家の、重い言葉だった。

■「ノアの方舟」に乗った少年

 特別科学教育は、京都でも行われていた。

「君、ノアの方舟に乗らんか」

 1945年4月末、日本軍の飛行場をつくるため奈良県の田んぼを土で埋める勤労動員をしていた当時中学3年の片岡宏さん(92)は、担任の先生から突然声がかかったことを覚えている。

 校長室に連れて行かれ「明日から勤労はしなくていい。代わりに特別科学学級の選抜試験に専念せよ」と言われたという。片岡さんは、「何のことかわからなかったが、働かなくていいことがうれしかった」と、当時の気持ちを教えてくれた。 だから、担任の先生が旧約聖書の「ノアの方舟」を例えに出して誘った意味を、片岡さんは京都へ行ってから理解した。

 授業を受けることになった京都一中は、建物の一部が工場となっていた。教室の一部も倉庫として利用され、その他の教室はガラガラ。地元の生徒は、みな軍事工場や農場へ働きに行っており、教育を受けているのは、片岡さんと同様に特別科学教育を受けることになった生徒だけだと思い知らされた。片岡さんは「こんな状況で教育を受けていられるのは自分たちだけなんだ」と誇らしく思った。

 片岡さんはいま、京都市の京都大学近くの自宅で子どもや孫に囲まれた生活を送る。京大医学部を卒業後に入った製薬会社で働きながら弁理士の資格を取り、退社後は個人事務所を開いて国内外の企業の特許出願のサポートをしてきた。

■教科書は一切使わない

 私が片岡さんのことを知ったのは、自身が受けた特別科学教育について、研究論文にまとめていたためだ。2005年に発表した「京都帝国大学主導の特別科学教育について」と題した論文には、国の計画や選抜試験などが細かく整理されている。そこでは、特別科学教育の京都での授業について、教科書は一切使わず、口述筆記と演習や実験などが行われたと記している。

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