国語は27時間と比較的少なく、音楽や図画などはゼロ。体操は63時間と多く、当時「敵性語」とされた英語を教えていたという記録もある。

 押さえておきたいのは、このころ、選抜されなかった全国のその他多くの子どもたちは、戦禍で不足する労働力を補うため、勤労動員として軍需工場や食料生産工場などで強制的に働かされていたことだ。また、特別科学教育を受けた児童生徒の名簿を見ると、女性の名前は一人も見当たらなかった。勉強ができたのは、選ばれた一部のエリートだけだったという残酷な事実である。

 しかし、日本は敗戦。特別科学教育はその後も続き、直後の45年10月には新しい特別科学教育要項案が、資料に残っていた。

 当初の教育要項にはその目的が「皇運を扶翼し奉る先達を育成する」とあったが、敗戦後には「国民生活を飛躍的に向上し、進んで世界の平和に寄与すべき新科学文化を創造せんが為」に変わっていた。

 だが文部省は46年10月、翌47年3月をもって、特別科学教育を打ち切ることを決め、各学校に通知した。理由を記した文書もその資料の中にあった。

「戦後の国内事情の著しい変化により、制度化して行うことは適当ではない」ということだった。当時、敗戦国の日本では、連合国軍総司令部(GHQ)による教育の民主化が進められていた。打ち切りと同じタイミングで、「教育の憲法」と言われる教育基本法が公布・施行された。

 わずか数年の短命で終わった特別科学教育。選ばれて教育を受けた子どもたちが確かにいた。戦後、どういう生涯を送ったのか。この教育をどう振り返るのだろうか。今はもう90歳前後となる彼らの証言を得ようと、急いだ。

 (年齢は2023年3月時点のものです)

 ※【後編】<ギフテッド教育のヒントになるか 戦時の天才児教育「悪だとは思わないが…」元大蔵相・藤井裕久さんが語る>に続く

●阿部朋美(あべ・ともみ)
1984年生まれ。埼玉県出身。2007年、朝日新聞社に入社。記者として長崎、静岡の両総局を経て、西部報道センター、東京社会部で事件や教育などを取材。連載では「子どもへの性暴力」や、不登校の子どもたちを取材した「学校に行けないコロナ休校の爪痕」などを担当。2022年からマーケティング戦略本部のディレクター。

●伊藤和行(いとう・かずゆき)
1982年生まれ。名古屋市出身。2006年、朝日新聞社に入社。福岡や東京で事件や教育、沖縄で基地や人権の問題を取材してきた。朝日新聞デジタルの連載「『男性を生きづらい』を考える」「基地はなぜ動かないのか 沖縄復帰50年」なども担当した。

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