ただし、指導と評価は本来一体化しなければならないという基本からすれば、教員の仕事から評価行為を一掃するのは難しい。
具体的に言うと、引き算の問題を10問出して半分間違えた子がいたとする。その生徒がどこでつまずいているのかをテストを採点しながら先生が把握できなければ(例えば、繰り下がりのある計算が理解できていないんだな、とか)、何をどのように教えればいいのかは決してわからない。
現在、学校でしなければならない評価は3つあり、「知識・技能」と「思考・判断・表現」と「主体的に学習に取り組む態度」となっている。
私見を言えば、「知識・技能」については、算数の計算や漢字の書き取りを含めて早急にDX化し、AIによって間違えた箇所を分析し、児童が個別にキャッチアップできるようにしたらどうかと考える。なぜなら、指導力のある教員でないと、前述した「どこでつまずいているのか」を発見できないし、教員の質の低下でますます難しくなっていくからだ。私企業がAIによる学習サポートサービスを充実させているので、定量的な評価には、そちらを利用したらいい。
その上で、点数化しにくい「思考・判断・表現」と「主体的に学習に取り組む態度」という定性的な評価に教員のパワーをシフトさせたら良いと思う。
学期ごとの「通知表」を廃止してしまうだけなら、小学校には事例がある。
神奈川県茅ヶ崎市立香川小学校では、2020年度から通知表を廃止。それをきっかけに先生たちが「これは本当に必要なのか?」「他のやり方もあるんじゃないか?」と学校の当たり前を問い直す風土が生まれたという。
私自身は1993年、ロンドン移住時に長男が入学した地元の小学校で、英国流の成績通知の仕方に衝撃を受けた経験がある。小学1年生の手前の準備学級であったこともあり、数字による評価は一切なく、「これができる」「あれもできるようになった」と、「can do it」のオンパレードだったのである。日本の減点主義「これができない」「あれもできない」のアンチテーゼを見せられたような気がして、ガツンとやられた。今でも忘れられない。