毎年多くの選手がドラフトで指名されてプロ入りを果たしているが、強豪チームとなると同じ年に複数の候補選手がいることも珍しくない。昨年も小園健太(DeNA1位)と松川虎生(ロッテ1位)が市和歌山から揃って1位指名を受けているが、同時に3人以上の指名となるとやはりなかなかあるものではない。古くは法政三羽ガラスと言われた田淵幸一(阪神1位)、富田勝(南海1位)、山本浩二(広島1位)の例があるが、揃って活躍しているケース、また逆に総崩れとなっているケースはどの程度あるのだろうか。2000年以降の主な例から探ってみたいと思う。
大学球界で“松坂世代”が話題となったのが2002年で、多くの大学生が高い順位でプロ入りすることとなったが、中でも多くの選手を送り出したのが日本大だ。主砲の村田修一は自由枠で横浜、エースの館山昌平は3巡目でヤクルトに入団。さらに正捕手の大野隆治はダイエー(5巡目)、投手の堤内健も横浜(9巡目)から指名を受けている。村田は1年目から25本塁打を放つなどプロでも早くからその長打力を発揮し、館山も度重なる故障を乗り越えてエース格となるなど、ともにタイトルホルダーとなっている。村田は大学時代と変わらないスタイルで結果を残し、館山はフォームを大きく変えながらプロで生き残ったという点も対照的で面白いところだ。
この日本大を上回る最大の成功例と言えそうなのが翌2003年の早稲田大だ。この年の目玉だった鳥谷敬は自由枠で阪神へ入団。それ以外にも比嘉寿光が広島(3巡目)、青木宣親がヤクルト(4巡目)、由田慎太郎(8巡目)がオリックスに指名されている。投手が1人もおらず、野手4人が指名されるというのは極めて珍しいケースである。比嘉と由田は一軍の戦力となることはできなかったが、鳥谷は長年阪神のショートとして活躍。青木は2年目にシーズン202安打を放って大ブレイクすると、その後はメジャーでも活躍し、ヤクルトに復帰した現在もチームの精神的支柱となっている。ともに通算2000安打(青木は日米通算)をクリアしており、球史に残る選手であることは間違いないだろう。