■開発で失われる自然
さらに小松さんは、「沖縄は基地だけじゃないから」と言う。
「江戸時代には薩摩藩のよる琉球支配があった。明治になると沖縄県として日本に組み込まれた。戦争が終わると今度はアメリカに統治された。激動の歴史のなかで沖縄は『チャンプルー文化』といわれる独自の文化を育んできた。そして、沖縄の人々は美しい自然と共存してきた」
ところが、本土復帰後はそれが一気に崩れたという。特に沖縄国際海洋博覧会(75年)の開催を機に、ホテルや道路の建設など、巨大開発が進み、大量の赤土が海に流れ出た。沖縄本島のサンゴの生息環境の多くが失われた。
「とても皮肉なことなんだけれど、それまで米軍がいたことで守られてきた自然が破壊されるようになった。泡瀬干潟(沖縄市)なんか、その一例だけど、悲しいね」
一方、石垣島の南部、白保の海のようにサンゴが守られた場所もある。小松さんの写真には巨大なアオサンゴの群落が写っている。
この貴重な海を埋め立て、空港を建設する計画が公表されたのは79年。80年代になると、本島のサンゴの多くが死滅したのを教訓に反対運動が巻き起こった。小松さんも現地に向かった。
「ぼくは泳ぎは得意だから、サンゴ礁まで泳いでいった。浜辺から300メートルくらい。行きはよかった。ところが帰れなくなってしまった」
フィルムを撮り終えたころ、潮が満ちてきた。潮が沖に向かって流れ始めた。
「それまで腰の位置に水面があったのに、ぜんぜん立てなくなった。もう帰ろう、と思って、泳ぎ出したんだけど、いくら泳いでも岸が近づかない。こりゃ、ヤバいな、と」
日が沈み、暗くなり、やがて遠くに家の明かりが見えてきた。
「岸に向かって斜めに泳いで、なんとかたどり着いたのは8時くらい。民宿のおばあは、ぼくが『行ったっきり帰ってこない』と言って、もう大騒ぎになっていた。みんなからえらく怒られました。いま思えば、よく死ななかったなと。だから、恥ずかしいけれど、記念に残そうと思って、そのとき写したサンゴの写真を本に入れました」
■生まれ変わる牧志公設市場
この写真集を世に送り出したことで、沖縄の撮影はひと区切りついたのか?
「自分の人生のなかの50年、沖縄の取材を始めてから40年という区切りという意味ではね。ただ、沖縄の人たちにとっては区切りにはならないでしょう。『復帰50年』と言ったって、また翌日から同じ状態が続くわけだから。でも一つの節目だとは思います。だから、こういう写真も入れました」
色鮮やかな魚が並ぶ店や観光客でにぎわう那覇市第一牧志公設市場。戦後まもなく開設されたこの市場は人々の暮らしを支えてきただけでなく、人気の観光スポットとして愛されてきた。
「いま昔の建物を取り壊して、新しい市場を建てる工事をしているんです」
最初、写真集を開いたとき、なぜ何の変哲もない建設現場の写真があるのか、不思議に思った。その謎がとけた。来年には昔と変わらない3階建ての市場がオープンするという。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】小松健一写真展「琉球 OKINAWA」
フジフイルム イメージプラザ大阪(難波) 7月27日~8月1日
富士フォトギャラリー銀座(東京)8月12日~8月18日