撮影:小松健一
撮影:小松健一
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 米軍統治下にあった沖縄が日本に復帰して50年になる今年、小松さんは写真集『琉球 OKINAWA』(本の泉社)を出版した。

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 そこには「こんな写真、よく撮れましたねえ」と、地元沖縄タイムスの記者も驚くほどの貴重な写真が収められている――人間国宝の陶芸家・故金城次郎さんの窯の内部、蓑と笠がさを着けた来訪神、マユンガナシをもてなす家の主、むき出しの砲身ままけん引される米軍の榴弾砲……。

 しかし、当の小松さんはあくまでも自然体だ。「たまたま、ぶらっと行ったら撮れた。なんでこんなのが撮れたのか、わかんないんだけどね」と、淡々と語る。

「要するに、ぼくは『辺野古を撮ろう』とか、何か目的があって沖縄に通ってきたわけじゃないんですよ。ただ、ダラダラと――暇なときとか、金がちょっとたまったときとか、何となく行きたくなったときにぶらっと訪ねて、そこで出会った瞬間や光景をただ撮っただけ。だって、こんなの『いつやりますから、ぜひ来てください』なんて、言わないから」

 小松さんが写真集のページを開くと、遠浅の海の中を米軍の水陸両用装甲車が隊列を組んで走っている。

「これはキャンプ・シュワブの近くを車で通りかかったときに偶然、目にして撮影したんです。上陸してくるのを待ち構えていたら、目の前で高校生の乗ったバイクがエンストして、後ろから水陸両用車が迫ってきた。そんなシーン、予測できないでしょう」。

撮影:小松健一
撮影:小松健一

 沖縄伝統の芭蕉布(ばしょうふ)を織る平良敏子さんの姿も「ぶらっと行って撮った」一枚。

「人間国宝になってからはとても撮れないですが、昔は見学者も写真を撮りに来る人もいなかった。1~2時間、話し込むというか、あぶらを売って、『撮ってもいいですか』と、たずねたら、『どうぞ』と。ただ、それだけですよ」

■苦い沖縄復帰宣言の日

 1972年5月15日、沖縄が本土に復帰した日のことは忘れられないという。

 当時、小松さんは地元、群馬県の自動車販売店に勤めていた。客に届ける車を運転しながらラジオから流れる屋良朝苗(やらちょうびょう)知事の沖縄復帰宣言を聞いていた。

 ところが、前日の夜更かしもあって、居眠りをしてしまう。いつの間にか車は石垣に突っ込み、乗り上げ、1回転して落下した。しばらく意識を失い、目を開けると「奇跡的に周囲に被害もなければ、けがもなかった」。

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妙なやつがやってきた