7番セカンドで出場した2年生の林は、2回に涌井からバックスクリーンに先制ソロを放つと、3回にも左越えにタイムリー二塁打、5回にも右翼線にタイムリー三塁打と長打を連発し、7回2死一、二塁の4打席目はダメ押しの5点目となる左前タイムリー。併せて大会史上5人目のサイクル安打も達成した。

「サイクル安打は試合後に知りました。それよりも有名な横浜に勝てたことがうれしい」と語った林は、準決勝から打順も3番に上がり、大会通算18打数10安打8打点1本塁打、打率.556の好成績で北海道勢初の優勝に貢献。主将になった翌05年夏も前年と同じ18打数10安打をマークし、1948年の小倉以来、57年ぶりの連覇を実現した。

 駒大進学後も1年春からレギュラーになり、3年春に50打数20安打7打点1本塁打の打率.400で首位打者を獲得。筆者は当時の林を神宮で見る機会があったが、観戦2試合で決勝三塁打を含む8打数5安打2打点。投手から見て、どこに投げても打たれるようなイメージで、大学生の中にセミプロがまじってプレーしているようなオーラが感じられた

 だが、首位打者になったシーズンを最後にチームは2部降格。林も打撃不振に陥り、イップスに悩まされるなど、しだいに輝きを失っていく。

 大学卒業後は東芝でプレーし、都市対抗に9度出場したが、18年限りで現役を引退。母校・駒大のコーチに就任した。

 前出の池辺同様、高校の時点でプロ志望だったら、平田良介(大阪桐蔭)らとともに第1回高校生ドラフトの指名選手に名を連ねていたかもしれない。

 春夏の甲子園でサイクル安打を記録した選手は、玉川寿(土佐)、沢村通(大阪桐蔭)ら7人いるが、いずれも球史に残る好打者ながら、第1号の平安・杉山真治郎(元大映)以外プロ入りしていないのも、甲子園七不思議のひとつと言えるだろう。

 林同様、甲子園で安打を量産したのが、10年に史上6校目の春夏連覇を達成した興南の主将で3番打者・我如古盛次だ。171センチ、68キロと小柄ながら、思い切りの良いバッティングを売りに、春は23打数13安打5打点の打率.565、夏も25打数12安打7打点の.480と打ちまくった。

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