
宿代の負担も大きかった。ソマリアに限らず、紛争地には大抵「ジャーナリストの定宿」がある。セキュリティーがある程度確保されている半面、料金は割高である。大手メディアの場合、護衛料金や宿代は会社持ちだが、フリーランスの場合はそうはいかない。
「ソマリア取材は費用面が一番大変でしたね。取材と宿代でどうしても1日300ドルから400ドルはかかる。料金を交渉すると『あいつはいくら払ったぞ』とか言われる。ぼくは、個人で来ているから金がない、と打ち明けて宿代をまけてもらった。それでもきついので、1日取材したら、2~3日は記事を書いたりしていました」

■何も変わらない状況
取材の際には最低でも3~4人、多いときは10人以上が同行した。
「車を降りた途端に、自分の前と後ろを6~7人くらいが警護についたときもありました。人々の生活を撮りたいと思って、最初は市場なんかを訪れたんですが、どうしても目立ってしまいましたね」
モガディシオ市内は破壊されたがれきのような家がずっと続いていた。学校の校庭のような場所ではぎゅうぎゅう詰めの避難民キャンプを目にした。
街なかでは日本の中古車をよく見かけた。故障が少なく、部品も入手しやすいのだろう。
「日本車はものすごく多いです。特に幼稚園バスが多くて、日本で使われていたときと同じ塗装のまま走っています」
11年と13年にはソマリアからケニアに逃れた難民を取材した。
「このころ大干ばつが起こって、飢餓で大量の難民が国境を越えてケニアにやってきた。もちろん、その背景にはソマリア内戦によって疲弊した状況があります」
ソマリアからの難民は国境を越えてケニアに入ると、バスで80キロほど離れたダダーブ難民キャンプに運ばれる。巨大なキャンプには数十万のソマリア人が収容されていた。
「もうここで生まれ育って、大人になった人もいます」
国連などが豆やトウモロコシの粉などを提供しているが、乳児は大抵栄養失調という。
すでにソマリア政府が崩壊してから30年以上がたつ。近年、アフリカは経済発展が著しい。ソマリアも少しは変わったのだろうか?
「おそらく、何も変わっていないと思います。ろくな産業もなく、お金にならない場所ですから」
どこまでも救いのない話である。丸山さんの作品はそんなソマリアの現実を映し出している。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】丸山耕写真展「SOMALIA 2003-2013」
TOKYO BRIGHT GALLERY 8月16日~8月28日