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「基本的に入れないところとか、撮りにくいところを写したいと思っているんですよ」
丸山耕さんは2003年以来、10年にわたり東アフリカの国ソマリアを追い続けてきた理由を、こう語った。
首都モガディシオの状況を尋ねると「無法地帯ですよ」と、こともなげに言う。
作品に写るのは破壊された建物ばかりが目立つ街。そこに自動小銃を手にした男たちがたむろしている。一目でひどい栄養失調だとわかる乳幼児の表情が胸の内をざらつかせる。
「ソマリアは世界から忘れられた国ですよ」
1991年、独裁政権が倒れたことをきっかけに各氏族間の対立が激しくなり、ソマリアは内戦に突入した。
米軍を中心とする国連PKO部隊が介入したが、治安回復に失敗して95年に撤退。以来、実質的に無政府状態が続いている。それにともない、大量の難民や国内避難民が発生した。
ソマリア沖では海賊事件が多発した。日本政府は海賊行為を取り締まるため、2009年から現在まで自衛隊の艦艇や航空機を派遣している。
しかし、国際社会の目がソマリアに向けられたわけではなかった。「ソマリアに通い始めてから最初の3年間はほかのジャーナリストに会うこともなかった」と、丸山さんは振り返る。
「だからこそ撮りたい。注目を浴びるような戦争は大手メディアが報道する。それとは逆に、誰も見向かないソマリアのような場所を追っていく。それがフリーランスのぼくにできることだと思う」
■平穏なソマリランド
丸山さんは「写真を始めたのが遅かった」と言う。
写真を学ぶため、東京・渋谷にある日本写真芸術専門学校に入学したのは1999年、27歳のときだった。先生から「君の歳だったらもうみんな独立して働いているよ」と言われた。その言葉が胸に刺さった。
翌年、休学すると、ロシアから欧州経由で南アフリカまで陸路で旅した。「これから取材したい国を広く浅く見たかった」。写真学校に戻ることは2度となかった。
腰を落ち着けたのはケニアの首都、ナイロビだった。
「スラムの学校でボランティアで仕事をする機会を得たんです。先生がいないときは算数や英語を教えていた」