撮影:丸山耕
撮影:丸山耕

 スラムの近くにはソマリア人街があった。

「ソマリアなんて行けるのかな、と思っていたんですが、飛行機の便があることがわかったんです。それで2003年に初めてソマリアに訪れた。もともと戦争や内戦のなかで人々がどんな暮らしをしているのか、興味があった。まあ、好奇心ですね」

 丸山さんはまず、ソマリア北部の街ハルゲイサに降り立った。ここは自治区「ソマリランド」の「首都」でもある。

 ソマリランドは1991年にソマリアから分離独立を宣言した地域である。しかし、国際的には国家として承認されておらず、ソマリアの自治区と認識されている。

「ソマリランドは平穏でした。ハルゲイサはケニアの田舎の小さな街といった感じで、街中をふつうに歩いて撮影できました。ほかの街へもけっこう自由に移動できた」

撮影:丸山耕
撮影:丸山耕

■ホテルの外に出られない

 ところが、モガディシオに移動すると、状況は一変。「警護なしではホテルの外に出られなかった」と言う。

 それは、なぜなのか?

「多くの人が銃を持って歩いていますから、外国人はすぐに拉致されてしまう」

 無政府状態のこの地では銃を持ち歩くことが当たり前だった。

「何かあったときに銃がなければすぐにやられてしまいますから」

 中国製の安い自動小銃ならわずか100ドルで購入できるという。

「2006年に朝日新聞のナイロビ支局長と一緒にソマリアを訪れたんですが、そのとき、案内人に銃を売っている場所に連れていってもらった。家の奥にさまざまなタイプの銃が並んでいました」

 住民の多くは国内避難民で、職がない。そのため、街なかを外国人が無防備に出歩けば、武装した人々に捕まり、身代金を要求される。要は海賊行為と同じである。

 取材の際には常に護衛が必要だった。それを手配してくれるのは「フィクサー」と呼ばれる人物である。

「滞在ホテルに専属みたいなフィクサーがいるんです。40歳くらいで英語が話せた。彼が『ボディーガードを手配しよう。通訳は俺がやる』と言う。そういう商売が成り立っているんです。通訳、車、ボディーガード込みで1日250ドルくらいでした」

暮らしとモノ班 for promotion
【Amazonブラックフライデー】先行セール開催中(28日23:59まで)。目玉商品50選、お得なキャンペーンも!
次のページ
何も変わらない状況