チャンス大城さん(撮影/写真映像部・東川哲也)
チャンス大城さん(撮影/写真映像部・東川哲也)
この記事の写真をすべて見る

 芸歴32年、いま、お茶の間の記憶に残る男として、TV出演急増中の芸人・チャンス大城(本名:大城文章さん。そんなチャンス大城さんが自らの半生を赤裸々に語り下ろした『僕の心臓は右にある』から、チャンス大城さんの結婚離婚についてのエピソードを、本文から抜粋、編集してお届けします。

【天才?チャンス大城さんの独特なイラストはこちら】

*  *  *
■結婚

 ヤクザな仕事をしている僕でしたが、それでも結婚してくれるという人が現れました。名前はKちゃんと言います。

 Kちゃんと出会ったのは、たしかBBゴローさんの自主ライブだったと思います。僕はゴローさんと仲がいいのですが、Kちゃんもゴローさんの芸風が好きで、ゴローさんの自主ライブをボランティアで手伝ったりしていました。

 ゴローさんのライブが終わった後、みんなで飲みに行ったことがあって、そこにKちゃんも来ていたのですが、丸顔で笑顔がステキなかわいらしい女の子でした。KちゃんもX JAPANが好きだというので意気投合して、付き合うようになったのです。

 しばらく神楽坂のアパートで同棲してから、山吹町の家賃8万円のマンションに引っ越しました。その頃はすごく仲がよくて、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

 ところがある日を境に、Kちゃんがメチャクチャ怒るようになったのです。

 ちょうど、同棲を始めてから一年ぐらいたった頃のことです。Kちゃんのおなかがちょっとぽっちゃりしてきたのです。当時、メタボリック症候群という言葉が流行していたので、僕はてっきりそれだと思って、「Kちゃん、腹筋しやー」なんて言っていたのです。

 そして、ある日の晩、Kちゃんのおなかを触ろうとすると、

「やめてよ!」

 と、かつてない剣幕で怒るのです。

 僕にはKちゃんがなんでそんなに怒るのか、見当もつきませんでした。

「私、旅に出たい」

 Kちゃんが突然そう言い出したのは、僕がおなかを触ってから数日後のことでした。

 僕みたいな売れないくせに酒ばっかり飲んでる芸人と暮らしてたら、そりゃ、ストレスたまるやろな。旅に出たくなるのも、当たり前や……。

 そう思って、僕はKちゃんが旅行に行きたいというのを止めませんでした。

次のページ
ところが、Kちゃんは旅に出たきりぜんぜん帰ってこないのです