如来は、どれもシンプルな姿なので見分け方が難しいが、ポイントを見れば、推測することはできる。例えば、手のかたち、印相という表現だ。釈迦如来の印相には、右腕を上げる施無畏印と、左腕を下げる与願印がある。また、坐禅する時の手を表わすこともあり、禅定印とか法界定印という。阿弥陀如来も似ている印相があるが、阿弥陀如来の場合は、指を付けて手を結んでいる。これが釈迦と阿弥陀の違いである。
薬師如来は、薬壺を持っているイメージがあるが、飛鳥・白鳳時代の薬師如来は、薬壺を持ってない。薬壺をもつ薬師如来が出てくるのは奈良末期になってからだ。
また大日如来の場合、如来像なのに宝冠をかぶり、胸飾りまでつけている。大日如来は、宇宙そのものとされ、如来の中でも特別な存在「如来の中の如来」なので、荘厳された菩薩像姿として表現する。密教の二つの世界(金剛界・胎蔵界)の大日如来の違いは、印相で見分けることができる。 ちなみに東大寺の本尊、奈良の大仏は廬舎那仏という如来である。これは『華厳経』で説かれる如来、華厳世界の教主、広大な宇宙観そのものの姿といわれる。実は、密教の大日如来と廬舎那仏は、原語は同じバイローチャナで、「光り輝くもの」という意味である。経典の違いによって名称が変わった。
※週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 23 仏像と古寺を愉しむ』から