そして、お寺に行って怖い顔をした仏像に出会ったことがあるだろう。これは明王といわれる仏像。本来の姿は如来だ。悟った姿、優しい表情で人々を導こうとしても、説法を聞かない人がいる。その人たちのために、あえて怖い顔をして導いてくれている姿だ。つまり慈悲の怖さということになる。

 こうした仏像の世界を護る者の姿が、天といわれる仏像だ。天は、四天王のように甲冑をつけている姿もあれば、弁財天や吉祥天のように穏やかな姿もある。見分け方としては、如来と菩薩、明王の姿以外は天であると推測してみよう。この4種類を確認できれば、仏像鑑賞のパスポートを手に入れたも同然だ。

『歴史道 Vol.23』から。イラスト/水田デザイン(水田純雄)
『歴史道 Vol.23』から。イラスト/水田デザイン(水田純雄)

「如来」悟りを開いた
釈迦の姿をモデルとする

 如来は、修行して悟った人の姿。煩悩が消滅しているので、物質的なものに執着していない。そのため仏像の中で最もシンプルな姿をしている。

 インドでは、如来の衣(正確には袈裟)の着方が二つある。一つは「偏袒右肩」、これは衣を斜めに着て右肩を露出する着方だ。もう一つは両肩を覆うように着る「通肩」といわれるもの。この二つの着衣法でインドの仏像が制作された。そして仏像が中国に伝来した際、中国式(漢民族式)の衣の着方が成立する。この衣の着方は、当時の中国の貴族たちの服装だ。目印は、みぞおちにある結び紐。この結び紐があれば、中国で成立した仏像の着衣法だと判断できる。日本には、この三つの着衣法が伝来した。

 なお、インドの人たちは、悟った人は、普通の人とは違った身体的な特徴があると考えていた。それが「三十二相」というもの。具体的には、足は偏平足、腕が膝まで届く、顔を覆うほどの舌がある、歯が40本ある、眉間に白毫がある、身体から光が出ているなど。如来が金色で彩色されているのも三十二相の中に、悟った人は金色に輝いているという記載があるからだ。中には、何を食べてもおいしく感じる、声が綺麗で遠くまで聞こえるなど表現しにくいものもある。表現可能な特徴をもって、如来を表現していることが理解できる。

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