この点、税金を使う政府の行事が、政治家の支持者獲得のための後援会行事になっていると批判され、桜を見る会は中止に追い込まれた。

 このような事態を招いたのは安倍政権や日本政府が、政治イベントと行政イベントの区別がついていなかったことが原因であった。

 政治イベントは、政治家が自分の好きな者を呼んでくればいい。政治資金パーティーが典型だが、政治家の政治活動とはそのようなものである。

 しかし行政イベントとなればそうはいかない。日本政府は、どのような政治信条を持っているか、どこの政党を支持するかに関係なく、全国民を対象に振る舞わなければならない。全国民からの税金で支えられているのだから当然である。

 ゆえに行政イベントの場合には、明確な基準が必要なのだ。

 国葬であれば、国葬にする基準、しない基準が必要になる。

 この点、内閣府設置法第4条3項33号に、内閣府の所掌事務として「国の儀式」に関する事務が定められていることを根拠に、岸田政権は安倍元首相の国葬を決定してもいいという意見があるが、とんでもない間違いである。

 国の儀式を内閣が行うのは当たり前のことである。重要なのは、どのような場合に国葬にするのかの基準と判断プロセスなのである。

■ルールと判断プロセスの明確化しかない

 岸田首相は、(1)憲政史上最長の8年8カ月にわたり内閣総理大臣の重責を担った(2)東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開などの大きな実績を残した(3)外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けている(4)民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行によって亡くなり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられている、という理由を持ち出し国葬に値すると表明した。

 それに対して安倍政治には罪の部分もあるし、国葬にすれば安倍元首相を称えることを国民に強制することになるので国葬にすべきでないという意見もある。

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適切なプロセスで反対派の納得度も高めていく