だからこそ、ここは絶対的な正解を求めるのではなく、ルールと判断プロセスを重視する「フェアの思考」が必要なのである。

 すなわち岸田首相が掲げた4つの具体的理由とは別に、一般化した国葬の基準を法律上明確化すべきである。そして岸田首相が個人的に判断するのではなく、判断のプロセスも明確化すべきである。

 たとえば、衆院・参院両議長や最高裁判所長官、それに民間の代表者も加えて審議会で議論をしてもらい、そしてその意見を踏まえて最後は内閣、つまり首相が判断する。

 審議会で責任を負いながら決定するのは困難であろうから、審議会にはあくまでも意見を出してもらう。その上で責任をもって決定するのは内閣、つまり首相だ。

 このようなプロセスを踏むことにより、正解に近づいたと見なしていくのである。

 その決定について全国民が賛同することはあり得ない。常に反対意見が出るだろう。しかし適切なプロセスを踏むことによって、反対意見の人の納得度も高めていく。これが「フェアの思考」だ。

■共産党や辻元議員と同じ反対派と思われるのは心外

 このような明確な基準や適切なプロセスを踏むことなく、「安倍さんだから」国葬にするというのは最悪の国家運営だ。

 法の支配というのは、自分に不利になること、相手に有利になることでも受け入れる姿勢がなければならない。

 つまり基準に適合し、適切なプロセスを踏んだのであれば、自分が支持しない元首相が国葬になっても受け入れなければならない。安倍元首相「だけ」を国葬にするというのはあってはならない。

 このような「フェアの思考」から、僕は「安倍元首相は国葬に値する。しかし今のやり方での国葬には反対する」というコメントを出した。

 しかしこのようなコメントは、世間でなかなか受け入れられない。つまり多くの国民は「フェアの思考」ができていない。

 安倍政治と対立していた共産党や立憲民主党の参議院議員の辻元清美さんたちは、案の定、安倍政治の罪の部分も考慮すれば国葬にすべきではないと主張している。結論だけ見ると、僕も共産党も辻元議員も、同じ反対派になってしまう。

 これは僕にとって心外なのだ。

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単純反対とは全く次元の違う論