その上で、ルールとプロセスを重視する思考をとる。

 日本は世界に向けて法の支配、ルールに基づく統治を発信している。特にロシアによるウクライナ侵攻について、ロシアに対して法に従えと強く主張している。

 そうであれば、日本自体がルールに基づく統治を厳格に遵守しなければならない。

「安倍さんだから」という理由で国葬にすると判断したのであれば、それは法に基づく統治、法治国家とは言えない。中国や北朝鮮などと同じく、人に基づく統治、人治国家である。

 元首相である安倍さんが国葬なら、菅直人元首相が亡くなった場合にはどうするのか?鳩山由紀夫元首相が亡くなった場合にはどうするのか?

 安倍元首相を支持する者の多くは、菅元首相や鳩山元首相不支持のいわゆる保守層である。彼ら彼女らは「安倍さんは当然国葬だけど、菅さん、鳩山さんが国葬なんてとんでもない!」と主張するだろう。しかし当然、菅元首相や鳩山元首相の支持者もいるわけで、その者たちは菅元首相や鳩山元首相の国葬も求めるかもしれない。

 この点、アメリカは分かりやすい。慣例上、大統領経験者が亡くなった場合にはご遺族が拒否しない限り原則国葬とされている。ニクソン元大統領はウォーターゲート事件があったがゆえに本人やご遺族が国葬を望まなかったそうだ。

 アメリカは二大政党制なので、各大統領経験者には単純に言えばアメリカ国民の約半分の不支持者がいるにもかかわらず、国葬になる。

■雰囲気による国家運営が最も危ない

 では、日本はどうか?

 戦後、これまでは吉田茂元首相のみが国葬で、あとは国葬は行われず、内閣と自民党の合同葬などが営まれていた。

 ゆえに安倍元首相がいきなり国葬になるのであれば、唐突感が否めない。しかし岸田首相の国葬の表明後、国葬でいいじゃないか、という雰囲気に世間は包まれた。

 この雰囲気による国家運営というものが一番危険なのだ。

 安倍政権の問題の一つに桜を見る会に関するものがあった。もともとは政府主催の一定の功績のある国民を招待する行事であったのだが、安倍元首相はじめ自民党の議員たちが、自分の後援会関係者を呼ぶ行事と化していた。

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行政イベントには明確な基準が必要