その一方で、国内のFA移籍で年俸が下がった選手も何人かいる。
04年オフ、メジャー球団との交渉がまとまらず、年俸ダウンでヤクルトから日本ハムに移籍したのが、稲葉篤紀だ。
ヤクルトが提示した年俸1億円の2年契約を断り、メジャー移籍を目指した稲葉だったが、年明け以降も移籍先が決まらず、最後に交渉していたアストロズも2月下旬、「もう少し待ってほしい」と回答してきた。
「本当に必要ならそこで決められたはず」とついにメジャー移籍を断念した稲葉は直後、「日本で暴れてやろう」と気持ちを切り替え、日本ハムと前年の7800万円から23パーセントダウンの年俸6000万円で1年契約を結んだ。
そして、06年に打率.307、26本塁打、75打点で日本一に貢献するなど、“北海道の顔”として長く活躍したのは、ご存じのとおりだ。
出番が減り、他球団での出場機会を求めてFA宣言するベテラン選手も、年俸がダウンする例が多い。
ソフトバンク時代の17年オフに2度目のFA権を行使した鶴岡慎也もその一人だ。
13年オフ、「現役でいるうちに地元の九州(鹿児島県出身)に恩返ししたい」とソフトバンクにFA移籍した鶴岡は、16年に細川亨に代わって正捕手の座を掴みかけたが、翌17年は甲斐拓哉、高谷裕亮に次ぐ第3の捕手に回り、スタメンマスクはわずか2試合の29試合出場に終わった。
年俸7600万円の鶴岡は、ソフトバンク残留の場合、限度額一杯の25パーセントダウンでも5700万円だったが、「他球団で1からやり直したい」とそれ以上のダウンも辞さない覚悟で、あえてFA移籍の道を選んだ。
そして、獲得に名乗りを挙げたのが、正捕手・大野奨太が中日にFA移籍した古巣・日本ハムだった。
「もともと出て行ってほしくなかった」(島田利正球団代表)と自分の力を必要とされていることを知った鶴岡は「FA選手をあまり獲得しないチーム(前出の稲葉以来2人目)だとわかっていましたので、そういうチームからオファーをいただき、本当にうれしかったです」と、2年契約の年俸3000万円プラス出来高という条件で、5年ぶりの復帰をはたした。