ヤクルト時代の稲葉篤紀(OP写真通信社)
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 森友哉(西武オリックス)、伏見寅威(オリックス→日本ハム)のFA移籍が決まり、近藤健介(日本ハム)獲得をめぐり、各球団の争奪戦が繰り広げられるなど、FA戦線が活発化している。

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 FAといえば、移籍、残留いずれの場合も年俸がアップするイメージが強いが、過去には移籍後に年俸がダウンした選手もいる(金額はいずれも推定)。

 よく知られているのが、2000年オフ、阪神からメッツに移籍した現日本ハム監督の新庄剛志だ。

 同年、打率.278、28本塁打、85打点とキャリアハイの成績を残し、FA権を行使した新庄は、年俸7800万円から5年12億円という破格の条件で阪神から残留を要請され、獲得に動いたヤクルトと横浜も同じ条件を提示したといわれる。

 だが、最終的に新庄が選んだのは、契約金30万ドル(当時のレートで約3300万円)、年俸20万ドル(約2200万円)プラス出来高払い50万ドル(約5500万円)のメッツだった。

 5年12億円を年俸に換算すると2億4000万円。にもかかわらず、新庄は最低保証2200万円という10分の1以下の条件でも良しとした。あくまで「メジャーで自分の力を試したい」という夢にこだわったのだ。

 メジャー1年目に打率.268、10本塁打、56打点の成績を残した新庄は、年俸も135万ドル(約1億6500万円)に上がり、異国で初の1億円プレーヤーになった。

 このほかの海外挑戦組では、01年に横浜からメッツに移籍した小宮山悟が年俸1億1000万円から50万ドル(約5000万円)、03年オフにヤクルトからホワイトソックスに移籍した現ヤクルト監督の高津臣吾が1億7000万円から75万ドル(約7500万円)といずれも50パーセント以上もダウン。12年オフに日本ハムからジャイアンツに移籍した田中賢介に至っては、2億7000万円から98.5パーセントダウンの4万ドル(約400万円。メジャー40人枠入りすれば約7500万円)でマイナー契約を結んでいる。

 国内でプレーを続けるほうが遥かに稼げるにもかかわらず、彼らが年俸大幅ダウンを承知のうえでメジャー挑戦を選んだのは、新庄同様、“男の夢”を優先した結果と言えるだろう。

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国内移籍で年俸がダウンした選手は?