「天才打者」と形容された前田は走攻守三拍子そろった選手だったが、95年に右アキレス腱断裂の大けがを負う。満身創痍の体になるが、プロの名選手たちも一目置く打撃技術で通算2119安打を積み重ねた。江藤は2度の本塁打王を獲得するなど90年代を代表する和製大砲として活躍。99年オフに巨人FA移籍してから出場機会が年々減少したが、4番が似合う強打者だった。外野は飯田哲也(ヤクルト)、新庄剛志(阪神)、鈴木尚典(横浜)、金本知憲(広島)の名前が挙がったが、走攻守の総合力で中堅に緒方を据えた。95年から3年連続40盗塁以上でタイトルを獲得。99年に36本塁打をマークし、外野の守備でも95年から5年連続ゴールデングラブ賞を受賞とスケールの大きいプレーが魅力だった。

 捕手は名将・野村克也監督の下で「ID野球の申し子」と形容され、ヤクルトの黄金時代

を築いた古田、外野の残り2枠はイチローと松井で異論はないだろう。イチローはオリックスで7年連続首位打者に輝き、メジャーでも10年連続200安打以上を達成。日米通算4367安打は破られる日が来るだろうか。松井は巨人で3度の本塁打王に輝き、ヤンキースでも中心選手として活躍。常勝を義務づけられた球団で輝き続けた。メディア関係者のほぼ全員がこの3人を選出していた。

 80年代に続いて、一塁で選出されたのが清原だ。助っ人外国人が多いポジションであることも影響しているが、入団1年目の86年から98年まで、12年連続20本塁打以上をマークしていることも大きい。96年オフに巨人にFA移籍後は度重なる故障で苦しんだイメージが強いが、大舞台で無類の勝負強さを発揮するのが魅力だった。日の丸をつけたら、眠っていた能力が引き出されていたかもしれない。そう思わせるほどの大打者だった。

 投手は工藤公康(西武ほか)、山本昌(中日)、今中慎二(中日)、桑田真澄(巨人)、西口文也(西武)など名投手の名前が挙がったが、斎藤と野茂英雄(近鉄ほか)がナンバーワン争いになった。斎藤は2年連続20勝を達成するなど最多勝を5度獲得。89年だが11試合連続完投勝利の日本記録も達成している。「平成の大エース」と呼ばれた。野茂は「トルネード投法」で新人から4年連続最多勝を獲得し、社会現象に。95年からメジャー挑戦して初年度から13勝、16勝、14勝と大活躍で日本のみならず、米国のファンも熱狂させた。斎藤は97年以降に故障で成績を落としたが、WBCが開催されていたら野茂とともに先発の柱として選出されていたことは間違いないだろう。(今川秀悟)

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