パ・リーグ出身の選手が大多数を占めるなか、セ・リーグの野手で唯一選ばれたのが山本だ。本塁打王を4度獲得しているが、そのうち33歳以降の80年代に3度獲得と大器晩成だった。大学出身者で通算536本塁打は日本最多記録。現役最終年の86年も打率.276、27本塁打、78打点をマーク。同年に日本シリーズで西武に敗れたが、本拠地・広島市民球場で胴上げされ、「浩二コール」が鳴りやまなかった。
落合を二塁に回し、衣笠祥雄(広島)、掛布雅之(阪神)、松永浩美(阪急ほか)を三塁のスタメンで提案する声もあったが、二塁は辻と篠塚和典(巨人)の2人の評価が高かった。篠塚は首位打者に2度輝くなど巧みなバットコントロールが印象的だったが、辻を「9番・二塁」で推す意見が多かったのは、攻守の潤滑油になるからだろう。当時の西武を取材していたスポーツ紙記者は「秋山、清原が目立ちますが、辻が常勝軍団の象徴だと思います。エンドラン、小技と状況判断に応じた打撃で足も速い。二塁も鉄壁の守備と隙のないプレースタイルだった。1点を争う国際試合で辻の存在は心強いでしょう。当時WBCがあったら間違いなく選ばれていたと思います」と評価する。
投手は北別府学(広島)、西本聖(巨人ほか)、渡辺久信(西武)など様々な投手の名前が挙がったが、80年代前半と後半では印象度が変わってくる部分がある。その中で、最も支持を集めたのが江川だった。80、81年に2年連続最多勝を獲得するなど9年間の野球人生で通算135勝をマーク。スピンの利いた直球とブレーキの利いたカーブの2種類だけで相手を圧倒する投球は別次元だった。国際試合のガチンコ勝負で登板していたら、どんな投球を見せていたか興味深い。
90年代の日本代表スタメン ※カッコ内は90年代の所属球団
(右)イチロー(オリックス)
(遊)野村謙二郎(広島)
(指)前田智徳(広島)
(左)松井秀喜(巨人)
(一)清原和博(西武、巨人)
(三)江藤智(広島)
(中)緒方孝市(広島)
(捕)古田敦也(ヤクルト)
(二)立浪和義(中日)
(投)斎藤雅樹(巨人)
80年代はパ・リーグの選手が中心だったが、90年代はセ・リーグの選手が中心の陣容となった。目立つのは広島勢だ。野村、前田、江藤、緒方の4選手が選出されている。他にもいい選手はいるが、この4人が選ばれたことに納得の野球ファンは多いのではないだろうか。野村は95年に打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。最多安打2度、盗塁王3度とミート力、スピード、長打力を兼ね備えた理想のリードオフマンだった。遊撃は川相昌弘(巨人)、石井琢朗(横浜)も候補に挙がったが、野村が過半数以上の支持を集めた。