
それでまた、新日本で驚かされたのは、ケガをしたら「では、この病院で治療してください」って病院の指定もあって、治療費も出してくれるっていうんだ。全日本とはだいぶ待遇が違ったね。
では、肝心のファイトマネーはどうかというと、意外にも、長州力が全日に来たとき、その真意はわからないが、馬場さんがポロっと「長州、意外と安いな……」と言っていたんだ。
おそらく、一試合当たりのギャラのことだと思うんだけど、当時の長州は勢いがあって、サイン会は一回3000万円なんて言われていたときだよ。それなのに「俺たちの方がファイトマネー」は高いんだと意外だったよ。当時、新日は年間約200試合で、全日は140~150試合くらいだったから、その分、一試合辺りのギャラは抑えられていたのかもね。
俺が新日本に参戦したのは、あくまでゲスト扱いで、さらにうちのタフネゴシエーター、女房のまき代が交渉してくれたおかげで、かなりいい額をもらっていたよ。それが気に食わなかったのか、木村健悟に「あんた、たまにしか来ないくせにギャラが高いんだよ!」と言われたよ(笑)。
木村は当時、新日本の上層部にいたから俺のギャラを知っていたんだろうけど、それを聞いていた越中詩郎たちに「みっともないからそんなこと言うなよ!」なんて、なだめられていたね。木村がこれを読んでいたら、またイラっとしてるかな?
他にも、全日本が巡業で泊まるのはビジネスホテルだけど、新日本はシティホテルで、全日本の俺たちも「シティホテルに泊まりたいなぁ」なんて思っていたよ。アントニオ猪木さんは突っ張っているように見えて、実は選手たちのことをしっかり守っていたというか“働きやすい会社”を作り上げたんだよね。
新日本のバスで帰るとき、猪木さんがなかなかバス乗り場に来ないことがあったんだけど、そしたらみんな「もう、出ちゃえ」って猪木さんを待たずに出発していたからね。全日本じゃあ考えられないよ! どんなに遅くなっても馬場さんが喫茶店でコーヒーを飲み終わるまで全員で待っていたからね。猪木さんはそういうことを本当に気にしない人だった。