
9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、プロレス団体にまつわる思い出を語ってもらいました。
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俺が感じた全日本プロレスと新日本プロレスの違いは、全日本は昔から言われているように「ジャイアント馬場商店」で、新日本は「株式会社」というイメージ。驚いたのは、新日本に参戦しているとき、他のプロレスラーが「タクシーを使ったから清算しなきゃ」と話ていたことだ。
試合が終わって、団体のバスで帰ることもできるし、各々で帰宅することもできて、そのときにタクシーを使っても会社が清算してくれるんだよ。初めて聞いたときは「えー! そんなことできるの!?」って驚いたよ。全日本はタクシー代なんて自分の持ち出しになるし、そもそもバスで帰ると決めたらみんなでバスに乗って帰っていた。
だから新日本に参戦しているときは自宅から会場まで、会場から自宅までタクシーを使って、経費が会社持ちで助かったよ。1日1万円くらいかかるからね。それから驚いたのは、新日では試合終了が遅くなってバスで帰るとき、各々の席に弁当が置いてあったことだ。
これも最初は意味がわからなかったけど、他のレスラーから「それ、食べていいんですよ」って教えられてね。全日本だったらどこか途中のサービスエリアかドライブインみたいなところに寄って、各自で好きなもの食べるというスタイル。もちろん自費だ。
全日本は力道山関が日本プロレスでそうしていたから、馬場さんもそのスタイルを取り入れたのか、アメリカでトップを取った立場としてアメリカナイズされたスタイルを取ったんだろう。アメリカでは宿泊費も交通費もすべて自腹で、払われるのはファイトマネーのみ。
その中でやりくりしなければいけないので、厄介なのはケガだ。アメリカで病院に行こうものなら、俺が修行していた1970年代当時でも300~500ドルくらいかかってしまって、とてもファイトマネーだけではまかない切れない。膝を捻挫しときはサロメチールを塗りたくった上からラップをグルグル巻いて、自力でどうにか治したもんだよ。