――米国に6年いらしたんですね。
ずっと海外に、と考えたんですが、その頃、母ががんで亡くなって、これは人生で最大に悲しい出来事でした。それで心が沈んで、日本で就職かなあという気持ちになって。ちょうどそのとき、九州大学で公募が出たので応募しました。
実は、このときジェンダーがらみの出来事があった。九大の公募では、線虫を扱える人を募集していたんですが、そのポジションに応募を考えている日本人男性がいた。その恩師に、国際電話で「森さんはもともと東京の人だよね。関西出身の人間が応募すべきだから、森さんは九大の応募を控えてほしい」と言われたんです。「あれ? 何これ」ですよね。こういうことが、この辺から始まりました。
――無視したんですか?
無視しました。逆に、私はそういうことで萎えちゃう女の人の気持ちがわからない。何で自分の意思を通さないのか。いや、森さんみたいに強い女の人ばっかりじゃないって言われるんですけど、科学の世界では男も女も関係なく、研究者おのおのが自己表現をしているわけです。研究の最前線では国際競争も激しくなるので、どんな場合でも、自分を見失わずに、自分を大事にし続ける強さが必要だと思うんですよね。
――それはそうですね。で、応募したら見事に採用されたんですね。
後から聞いた話ですけど、ウォーターストンの推薦状が素晴らしかったみたいです。私は見ていないからわからないですけど、もう感動的な推薦状だったらしく、これで決まったようです。
――九州は、日本の中でも男尊女卑の気風の強い地域ですよね。
そうなんですよ。アメリカでは男女差別を感じなかったので、九州に行ったら全部がカルチャーショックでした。まあ、いろいろありましたけど、助手という立場だったから、という面も大きかったかもしれない。だから、自分の研究室を持ちたいと自然に思いましたね。
あるとき、懇意にしていた東大教授を訪ねて「私は独立したい」って言ったら、「森さん、それは言わなきゃだめだよ」って助言されたんです。「自分が職探しをしている」と信頼できる人たちに開示する必要があるって。なるほどと思って、そういうふうに心がけていたら、「こういうポストが空く」といった情報が入ってくるようになった。それで、名大の教授選に応募したら、助教授で採ってもらったんです。