――教授選に手を挙げたんですね?
そうです。助手がって思うじゃないですか。やっぱり自分を過小評価しているんですよ。研究では一歩も引かないんですけど、人に選んでもらうというところになると、私も引いている。助手の分際でって、私自身が思っている。で、応募したら、教授に選ばれた人は別にいるんですけど、私も助教授として研究室を持っていいよって言われた。半講座で研究室を持たせてくれたんです。
ただ、名大は教授会には教授しか出られないんです。ラボのメンバーは20人、25人と増えました。教授にならないと、私と一緒に研究したいとラボに来てくれた学生やポスドクに責任をもてない、と思った。それで、アクションを起こして、結局、名大で教授に昇格しました。
――どんなアクションを起こしたんですか?
ほかの大学の教授選に応募しました。いつも最後の3人に残るんですが、最終的には選ばれなかった。ただ、こちらが応募していないのに教授候補になったこともあって、このことを名大に伝えたら、教授になれました。よそに取られたくないってことでしょうね。
私は助教授でも独立した研究室を持って、研究費も潤沢に取れていたから、それで満足していると思われていたんでしょうけど、それは、私に対して甘えているというか、私を軽く見ている表れだと思う。意図せずに、無意識にやっていることだとしても。
教授になれたって言いましたけど、それは私が名大の教授選に応募したからです。九大助手のときに続いて、2度目(笑)。教授として名大でラボを維持するのか、他の大学に移る準備をすべきなのか、どっちつかずの中途半端な状態が続きました。実際、この一連の教授人事をやっている時期は、神経がすり減って激痩せしました。
こういう苦労を次の世代にはさせたくないと思って、女性限定公募をするとき最初から教授で採ったほうがいいと言ったんです。
ただ、私自身は別の大学に移ったほうがもっと花開いたんじゃないか、という思いはあります。