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「高橋真理子」に関する記事一覧

「医学部か東大か」親と意見合わず3年間引きこもりも科学の道へ 女性公衆衛生学者がこだわる「命題」とは
「医学部か東大か」親と意見合わず3年間引きこもりも科学の道へ 女性公衆衛生学者がこだわる「命題」とは 「新型コロナクラスター対策専門家」というツイッターアカウントの「なかのひと」になった堀口逸子さんは、長崎大学歯学部卒、歯科医師免許を持つ公衆衛生学者である。昨年11月には、かわいらしい漫画がついた本『好きなものを食べてやせる食生活』(池田書店)を出版した。本を出したときは東京理科大学薬学部教授だったが、この3月で退職し、現在は非常勤の職を掛け持ちしながら「フリーの研究者」として活動する。内閣府食品安全委員会をはじめ政府の委員をいくつも務めてきた。「八面六臂の活躍」と形容したくなる、そのパワーはどこから湧いてくるのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
初投稿日「偽アカ疑惑」にどう対処? 新型コロナクラスター対策専門家「なかのひと」公衆衛生学者の使命と挑戦
初投稿日「偽アカ疑惑」にどう対処? 新型コロナクラスター対策専門家「なかのひと」公衆衛生学者の使命と挑戦 内閣府食品安全委員会の委員を務めていた公衆衛生学者の堀口逸子さんは、新型コロナのパンデミックが始まったときリスクコミュニケーションの最前線に立った。クラスター対策班で感染動向の分析をした西浦博・北海道大学教授(当時、現・京都大学教授)から、「若い人に情報を届けるのを手伝ってほしい」と頼まれたからだ。それならSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だと、旧知のエキスパートたちに声をかけてチームを作り、「新型コロナクラスター対策専門家」というツイッターアカウントの「なかのひと」になった。国家的緊急事態のなかで、研究者としてツイッター発信にどう取り組んだのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
「かわいいは世界の争いをなくす」女性感性工学者 69歳 東大を出ても「女性は高卒待遇」から大学教授に
「かわいいは世界の争いをなくす」女性感性工学者 69歳 東大を出ても「女性は高卒待遇」から大学教授に 芝浦工業大学名誉教授の大倉典子さんは、「かわいい工学」の第一人者である。東京大学大学院の工学系研究科修士課程を修了して日立製作所の中央研究所に就職したのは、男女雇用機会均等法が施行される前。民間企業の多くは大卒女子の募集をしていなかった。給料も高卒扱いとは就職後に知ったのだという。そんな差別的な扱いを、労働組合も問題だとは考えなかった。はた目から見れば、社会の理不尽さに翻弄された20代である。そこから、大学教授として「かわいい工学」を創始して発展させるまで、どんな道を歩んだのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
なぜ50歳を過ぎて「かわいい工学」を? 「日本ではB級グルメ的でも世界は認めている」芝浦工大名誉教授
なぜ50歳を過ぎて「かわいい工学」を? 「日本ではB級グルメ的でも世界は認めている」芝浦工大名誉教授 芝浦工業大学名誉教授の大倉典子さんは、世界で初めて「かわいい」を研究対象にとり上げた工学者である。東京大学大学院の工学系研究科修士課程を修了して1979年に日立製作所の中央研究所に就職した。そこで進められていた植物工場の研究に興味を持ったからだ。入社試験は高卒向けを受けた。男女雇用機会均等法が1986年に施行される前は、民間企業の多くが大卒女子を募集していなかった。子どもの預け先が見つからなくて5年で退職、それから紆余曲折を経て芝浦工大教授になったのは45歳のとき。感性工学者として確かな歩みを始めたのは50歳を過ぎてからだった。それにしても、「かわいい工学」とは何なのか。そんなユニークな学問をなぜ始めたのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
「無名とか下っ端とかどうでもいいや」コンプレックスを抱えた女性経済学者がたどり着いた新境地
「無名とか下っ端とかどうでもいいや」コンプレックスを抱えた女性経済学者がたどり着いた新境地 愛知県名古屋市にある南山大学経済学部准教授の小林佳世子さんは、2021年に初めての単著『最後通牒ゲームの謎』(日本評論社)を出した。「人間はどう行動するはずか」「行動すべきか」をベースに考えるのが伝統的な「経済学」で、実験などで調べたものをベースに実際の行動を議論するのが「行動経済学」である。両者はときに食い違う。その食い違いを徹底的に深掘りし、進化心理学や脳科学の最新成果も取り入れて「人間はなぜそう行動するのか」を論じたこの本は、その年の日経・経済図書文化賞を受けた。
「直感で生きています」 女性神経科学者43歳が“超エリート”じゃなくても手繰り寄せたチャンスと成果
「直感で生きています」 女性神経科学者43歳が“超エリート”じゃなくても手繰り寄せたチャンスと成果 東京・小平市にある国立精神・神経医療研究センター部長の村松里衣子さんは、大阪大学で働いていたときに関東地方で働く大学院時代の同級生と「遠距離結婚」をした。子ども2人をいわゆる「ワンオペ」で育てること約10年、それなのにインタビューの最中に「大変」という言葉は一度も出なかった。本人が自らを評して言ったのは「没個性」。いやいや、ほかの人と違う「個性」を十分にお持ちです。
「いつも男の人を養っちゃう」女性物理学者が2度の離婚を経て手に入れた「恵まれているなぁ」と実感する日々
「いつも男の人を養っちゃう」女性物理学者が2度の離婚を経て手に入れた「恵まれているなぁ」と実感する日々 理化学研究所(理研)に勤める物理学者の大竹淑恵さんは、中性子(ニュートロン)という粒子を使って、橋や道路などのインフラの内部を「透視」する技術の開発をリードする研究者だ。自ら「遅咲き」という。30代後半から心身の不調に悩まされ、研究が軌道に乗ったのは50代に入ってから。60歳になって2度目の結婚に終止符を打ち、食生活を一新し、トレーニングにも励むようになった。これからも大好きな物理の研究を元気に続けたいからだ。今は仕事に、趣味に、充実した日々を送る。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

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「遅咲き」の女性物理学者62歳 「心身がガタガタだった」30代後半からの十数年を越えて挑んだ新しい分野
「遅咲き」の女性物理学者62歳 「心身がガタガタだった」30代後半からの十数年を越えて挑んだ新しい分野 理化学研究所(理研)に勤める物理学者の大竹淑恵さんは、日本中性子科学会の学会賞を2022年に受けた。中性子(ニュートロン)という粒子を使って、橋や道路などのインフラの内部を「透視」する技術の開発をリードする。標準化を目指す「ニュートロン次世代システム技術研究組合」の理事長でもある。
名古屋大「女性限定公募」を実現させた研究者の覚悟 教授選に2度応募「次世代に苦労はさせません」
名古屋大「女性限定公募」を実現させた研究者の覚悟 教授選に2度応募「次世代に苦労はさせません」 教授や准教授への応募を女性に限る。こうした「女性限定公募」を昨年、東北大学と東京工業大学が相次いで実施して話題になった。先駆けること10年余、名古屋大学でこれを推し進めたのが、当時大学院理学研究科でただ一人の女性教授だった森郁恵さんだ。線虫という小さな生物を使って、行動をコントロールする神経の仕組みを解き明かしてきた。その業績が評価され、今年3月、江崎玲於奈さんを始め多様な分野のそうそうたる研究者が受賞している東レ科学技術賞を贈呈された。日本を代表する神経科学者の一人である。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
3人の子どもに「お母さんはやっぱり勉強したい」 主婦から大学教授になった石川幹子さんの分岐点
3人の子どもに「お母さんはやっぱり勉強したい」 主婦から大学教授になった石川幹子さんの分岐点 東京の明治神宮外苑に根をおろした約1000本の樹木を伐採する開発計画に、学者として敢然と異を唱えた中央大学研究開発機構教授の石川幹子さんは、26歳で結婚した。義父母と同居して「嫁」の役割を果たしつつ3人の子を産んでから、学者になろうと志す。
神宮外苑再開発に「何かおかしい」と図面を片手に学術調査、女性都市環境学者の原点 中国、ブータン、東日本大震災復興でコモンズ再生を実践
神宮外苑再開発に「何かおかしい」と図面を片手に学術調査、女性都市環境学者の原点 中国、ブータン、東日本大震災復興でコモンズ再生を実践 東京の明治神宮外苑に根をおろした約1000本の樹木を伐採する開発計画に、学者として敢然と異を唱えたのが中央大学研究開発機構教授の石川幹子さんだ。昨年1月に自ら現地を調べ、伐採本数を突き止めて発表したら反対運動に火がつき、12万を超える署名が集まった。
「夫は子育ての戦友」東工大教授の女性細胞生物学者60歳が開けた風穴 妻のほうが教授の夫婦帯同雇用
「夫は子育ての戦友」東工大教授の女性細胞生物学者60歳が開けた風穴 妻のほうが教授の夫婦帯同雇用 山中伸弥教授(京都大学)が開発したiPS細胞を使って糖尿病患者を救う治療法をつくりだそうとしているのが、東京工業大学大学院生命理工学院教授の粂昭苑さんだ。患者に必要なのはインスリン、それを分泌する膵臓の細胞を実験室で効率よくつくるにはどうすればいいか。昭苑さんは、その研究を長年続けてきた。夫の和彦さんは名古屋市立大学大学院薬学研究科教授。実は、2002年に前職の熊本大学発生医学研究センターの教授に就任したとき、和彦さんは同センターの助教授(現在は准教授と呼ぶ)に採用された。同じ研究室で妻が教授で夫が助教授というケースは、日本初ではなかっただろうか。

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