あるとき、オスのサルが子守しているのを見て、きっとこれ、血がつながっているんじゃないかなって考えた。これは私の直観です。おじさんが甥っ子とか姪っ子の面倒を見ているんじゃないかって。絶対、遺伝子を残しているんじゃないか。それで遺伝学をやらないとダメだって思った。で、お茶大の遺伝学っていうのは、集団遺伝学だったんです。
――集団遺伝学というのは、数学を駆使して集団の中でどんな遺伝子がどのように広まっていくかといったことを調べる学問ですね。
私は集団遺伝学をやりたいわけではなく、遺伝学をやりたかった。でも、もともと数学は好きだったので、集団遺伝学を修士までやりました。指導教官の石和貞男先生は博士号をアメリカで取られていて、「研究をやりたければ外国に行け」とみんなに言う先生だった。
修士課程のときにイギリスに1年留学しました。お茶大に戻って修士を取ったあと、集団遺伝学の先生の紹介でアメリカのセントルイスにあるワシントン大学の博士課程を受験しました。
ここでは、1年で3つのラボをローテーションする決まりになっていた。一つ目はショウジョウバエを使うけど本命じゃない進化生物学の研究室にした。私は修士課程でずっとショウジョウバエをやっていて、本命の集団遺伝学の研究室には3つ目に行く予定にしました。
2つ目をどうするか、ワシントン大学にいらした日本人研究者に相談したとき、せっかくだから違う動物もやってみたいと言ったら、そういえば線虫の新しい教授が来たので行ってみたらと勧められた。線虫の研究は新しい分野で、始めたのは分子生物学の創始者の1人でもあるシドニー・ブレナー(2002年ノーベル医学・生理学賞を受賞)です。その最初の弟子であるロバート・ウォーターストンが来たところだった。
この先生は、本当に厳しかった。線虫業界では、もっとも厳しい先生で通っていた。私は「どこの馬の骨?」って感じでジロッと見られて、「ラボに入るまでにどんな論文を読んでおけばいいですか?」と聞いたら、「論文より何より、君は英語の勉強をしておけ」って言われた。何だコイツは、ですよね(笑)。でも、ここにいるのは3カ月間だけだからまあいいか、と思った。