――ご自身は独身を通してこられた。
そうですが、結婚を捨てたとか、そういうのは一度もないんです。今でも、いい人がいれば結婚したい。
――ほうー。
これまでの人生で私を好きだった人はたくさんいたと思う。でも、結局、私が振ってきた。というか、研究者として生きていこうとしている私の足を引っ張りたくないと相手が遠慮していた。たぶん、私のことを好きだから遠慮する、みたいな感じ。そんなのばっかりです。
――ご本人から「この人ステキ」と思った人はいなかったんですか?
いたけど、ライバルにとられた(笑)。アメリカにいたときの話です。私はよく「結婚を捨て、子どもも犠牲にして研究に生きた女」みたいに描かれるんですが、私は何も犠牲にしていない。好きなことをやっているだけです。私は、好きな人がいたら積極的に行くタイプです(笑)。行動力があるので。結局、ずうーっと、研究のほうが好きだった。子どもが欲しかったという思いも全くない。人間にはそういう多様性があっていいんじゃないかと思うんですけど。
――研究者になりたいと思ったのは、いつごろですか?
お茶の水女子大学に入ってから研究者を意識しましたね。あのころは国立大の授業料がすごく安くて、国立に入るのが親孝行っていう意識があった。絶対浪人したくなかったので、お茶大を受けた。生物学科に入ると、助手、今でいう助教ですけど、そういう立場の女性の先生が何人もいらして。その先生たちが、研究者になりたい学生を集めて座談会みたいなのをやってくださったことがあるんです。
1年生だったか2年生のときだったか覚えてないですけど、そこに私は参加しました。そしたら「男の3倍できないと平等に認めてもらえない」と言われたので、「あ、3倍できればいいだけか」と思ったんです。だって、パワハラとかセクハラとか知らなかったですから。優秀の定義もわかっていなかったですけど、3倍できるだけでいいんだったら簡単だなって思ったんですよ。ま、そんなマインドで来ましたね、基本は。