ラボに入って最初に読めと言われたのが、シドニー・ブレナーが線虫の遺伝学を確立した論文です。アメリカでは学部卒で博士課程に入ってくるから、一緒に入った大学院生は集団遺伝学の勉強をしていない。私はすでに修士を取っていたから、質問すべきポイントがわかっていた。論文を渡されてから1日で読み終えて、「私を誰だと思っているの」みたいな感じで質問しました(笑)。
それから、私はショウジョウバエの実験をしてきたから、小さいものを見分けるのは慣れていた。線虫には、オスと雌雄同体の2種類いて、遺伝学のかけ合わせをするには、これを見分ける必要がある。また、動きがちょっとおかしい個体だけ取り出すとか、そういう、実験に必要な基本的な作業を、練習だからとやるように言われました。午後いっぱい使ってやるように、って言われても、私はそんなの30分か1時間でできちゃう。論文は読めちゃうし、手先は器用だし、観察力もいいってことになっていった。そういうのを見て、ウォーターストンが「イクエ、うちで博士号を取らないか」って言ってきたんです。
――3つ目のラボで取る予定だったのに。
そう、だから最初は断った。でも、だんだん線虫のすごさに気がついたんです。
上野動物園のサル山を見ていたときから、動物行動ってすごく面白いと思っていましたけど、誰に教わったわけでもなく、感覚的に「動物行動を遺伝子の言葉で語りたい」と思っていた。当時は脳の研究となると、サルの脳に電極を刺す。でも、電極を入れられちゃったら行動できない。ところが、線虫なら行動を見て遺伝子を調べられる。遺伝と行動が結びつくんです。
「見つけた」と思った。集団遺伝学の知識も、生命現象を定量的、統計学的に見ることに役立つし、「今までの全ての経験は、線虫に辿り着くためにあったんだ」と思った。
――それで、そのまま居残った。
そうです。大学院の中で物議は醸しましたけど、やると決めたら3つ目のラボに行くのは時間がもったいないときっぱり断りました。それからは楽しくて楽しくて。