●住み継げるビジョン掲げる 一難去ってまた一難

 この年、諏訪二丁目住宅に入った加藤輝雄は建て替え理事に就く。その後、理事長に就任して住民を牽引していくのだが、基本的な発想をこう述べる。

「僕らは建物が古くなったから建て替えるスクラップ&ビルドとは一線を画していた。高齢者も子どもも住み継げる『まちづくり』を目ざした。ビジョンを掲げるには積み重ねが必要でした」

 管理組合は竹中工務店とコンサルタント契約を結び、建て替えのイロハを教わった。ただ、竹中の超高層タワー3棟の建て替え案は現実味が薄く、コンサルを住都公団に変える。公団は敷地を「建て替え」「資金調達(新規住宅建設)」「既存建物」の三つに分け、等価交換で団地を再生する青写真を描く。一見、合理的なようだが「公平性、事業性」に欠けてディベロッパーは歯牙にもかけない。おまけに公団は行政改革で廃止され、URに看板を付け替えて分譲事業から撤退する。URは事業主体になれず、管理組合は支えを失った。一難去ってまた一難。建て替えは夢の夢、露と消えるのか、と思われた。

 潮目を変えたのは、2002年の法改正だった。区分所有法の改正で、団地も全住民の5分の4、棟別3分の2以上の賛成で「建て替え決議」の成立が認められた。さらに「マンション建て替え円滑化法」が施行され、管理組合と事業者などが「建て替え組合」を結成して事業を進める仕組みがつくられる。国は建て替えのアクセルを踏んだ。

 04年5月、諏訪二丁目住宅の住民総会で「建て替え推進決議」が採択され、方向性が定まる。実績のある旭化成ホームズがコンサルで入り、基本構想が練られた。06年に長年の懸案だった「一団地の住宅施設」の規制が多摩市の「地区計画」で緩和される。建蔽率は60%、容積率が150%に拡張された。ディベロッパーのコンペを経て東京建物が事業協力者に加わった。

 建て替えが現実味を帯びるにつれ、反対住民の動きも先鋭化した。このまま住み続けたい人にとって、建て替えは災難だ。高齢の独居者には、30カ月に及ぶ仮住まいや2度の引っ越しは耐え難い。一部の住民が管理組合を提訴した。団地の顧問弁護士を務めた栗山れい子が回顧する。

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