広島・野村謙二郎監督
広島・野村謙二郎監督
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「打線は水物」と言われるように、強力打線のチームといえども、空回りする日もある。だが、1試合や2試合程度ならまだしも、過去には来る日も来る日も打線が湿ったままという歴史的貧打に泣いたチームも存在する。

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 まず2リーグ制以降ワーストのチーム打率.201を記録したのが、1962年の国鉄スワローズだ(NPB記録は1943年の大和軍の.180)。

 前年、球団創設後、初のAクラス(3位)に躍進した国鉄だったが、「球団幹部からナインの一人一人に至るまで“今年は優勝だ”という安易なムードが流れはじめ、無我夢中でやった昨年と気力が違っていた」(砂押邦信監督)と、皮肉にも好成績がマイナス効果をもたらす。

 中でも深刻なのは打線だった。4月7日の開幕戦こそ、エース・金田正一の好投で白星スタートも、その後、3試合連続完封負けを喫するなど、ズルズル5連敗。チーム打率も8月31日の時点で.197。直近5試合中4試合までが無得点という貧打ぶりに、飯田徳治打撃コーチも「実際打てないんだからどうしようもない。打撃コーチとして、穴があったら入りたいよ」とお手上げだった。

 規定打席に到達した打者3人の中で最も打率が良かったのが、徳武定之の.244では、確かにお話にならない。

 だが、打線の援護が期待できない中で、金田が22勝を挙げ、12年連続20勝以上を達成したばかりでなく、自らのバットでも勝利に貢献する。9月22日の広島戦では、0対1の8回に代打で登場し、起死回生の逆転2ラン。チーム3位タイの6本塁打を記録し、4度も敬遠されるなど、投手のほうが本職の打者より警戒されたのは、皮肉だった。

 結局、最後まで投打がかみ合わないまま、1年で最下位にUターン。砂押監督も「最終的に責任はすべて私が取るべき」とわずか2年で退任した。

 セ・リーグワーストの50イニング連続無得点を記録したのが、2011年の広島だ。

 5月11日まで首位を守り、同25日まで2位とV争いを演じていた広島だったが、同日の西武戦で涌井秀章に完封されてから急失速。翌26日の西武戦の4回に2点を挙げたのを最後に、連日ゼロ行進の貧打モードに突入した。

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野村謙二郎監督もヤケ気味になる“拙攻”